朝日山の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/17 14:18 UTC 版)
慶応4年5月10日、朝日山近くの榎木峠で戦が始まり、12日には妙見村・浦柄村は長岡藩に占領された。そこで、新政府軍は朝日山に攻撃をかけた。この攻撃には、山県有朋、時山直八が指揮をとった。13日、深い霧の中を新政府軍は攻めてきたが、東軍は加勢して応戦し、時山直八を討ち、東軍が有利になった。その後、東軍は5千、新政府軍は1万の兵を集めたといわれ、13日から1週間、雨の中戦いが続いた。その際、山県有朋は「あだ守るとりでのかがり影ふけて夏も身にしむ越の山風」と歌を詠んでいる。その後、新政府軍は1隊はそのまま戦い、もう1隊を長岡城へ向かわせた。19日、長岡城が落城すると、東軍、新政府軍は蒲原へ向かった。
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