赤松氏系櫛橋氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/18 14:30 UTC 版)
前述の通り、櫛橋氏に扶育されて後に櫛橋氏を名のった赤松氏系櫛橋氏が存在するが、資料ではしばしば志方城主と記載され、藤姓櫛橋氏と混同されている。正確なところは不明と言わざるを得ない。 櫛橋祐則(すけのり、1381-1441、左京亮) - 嘉吉の乱で自害。 櫛橋春則(はるのり、1401-1441、左京亮) - 嘉吉の乱で自害。 櫛橋通則(みちのり、1420-1471、忠三郎、左京亮) - 志方城主。 櫛橋尚則(なおのり、1489-1534、左京亮) - 志方城主、朝日山の戦いで戦死。 櫛橋秀則(ひでのり、1523-1570、左京亮) - 志方城主、別所氏に従う。 櫛橋伊則(これのり、1547-1578、左京亮) - 志方城主。落城。
※この「赤松氏系櫛橋氏」の解説は、「櫛橋氏」の解説の一部です。
「赤松氏系櫛橋氏」を含む「櫛橋氏」の記事については、「櫛橋氏」の概要を参照ください。
- 赤松氏系櫛橋氏のページへのリンク