豊田市に市名変更とは? わかりやすく解説

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豊田市に市名変更

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 03:13 UTC 版)

長坂貞一」の記事における「豊田市に市名変更」の解説

1958年昭和33年1月29日挙母商工会議所杉浦定治会頭はじめとする商工会議所同志一同による請願書挙母市豊田市市名変更の件」が、市議会議長宛て提出される。 市の財源は、あたかもせんせん湧出ずる泉のように、くめどもつきぬ潤沢さであるといわれているが、それとてトヨタ自動車工業株式会社躍進興隆あってのことで昨年四月天皇皇后陛下奉迎した栄光歓喜は当市の千載銘記するべき誇りである。(略)挙母という地名は珍しい由緒のある地名であるがこれを正しく読む人はおそらく全国には僅少であろう。(略)郵便物その他にそれぞれ豊田市何町と記載されるようになれば、視聴覚通じてトヨタ自動車工業株式会社宣伝し期せずして一〇〇%の宣伝効果をあげる要因となることを確信する。 — 請願書挙母市豊田市市名変更の件」、1958年1月29日市議会はこれを受けて同年5月17日議会において請願書正式に採択することを決議長坂直ち地方自治法第3条第3項規定基づいて条例作り桑原幹根知事に「市の名称変更許可申請書」を提出した。 しかし議場の外では、市名変更対す激し反対運動展開された。初代市長渡辺釟吉ら3名を発起人とする挙母愛市同志会結成され6月12日に同団体による市民決起大会開かれる会場では賛成反対両派のヤジ怒号乱れ飛びその後各地区での反対集会9月12日までに70余回行われた反対派市名変更議決6月24日)の翌日から反対署名運動始めたが、県は同年7月29日変更申請許可し1959年昭和35年1月1日をもって挙母市は豊田市に市名変更した。 1960年昭和35年2月市長選は、市名変更反対した市民青年会婦人団体推す元衆議院議員本多鋼治との一騎打ちとなり、小差再選果たした長坂11,843票、本多10,580票) 1963年昭和38年12月大正終わり頃から作りためていた短歌160首、随想市政回顧などを内容とする『人生つれづれ』を自費出版1964年昭和39年2月市長選高齢の故をもって出馬せず、2期引退同年10月21日藍綬褒章受章1968年昭和43年12月15日豊田市名誉市民推挙される。 1969年昭和44年1月5日死去同年勲五等瑞宝章受章77歳没。

※この「豊田市に市名変更」の解説は、「長坂貞一」の解説の一部です。
「豊田市に市名変更」を含む「長坂貞一」の記事については、「長坂貞一」の概要を参照ください。

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