詩のスタイルと評価
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「ゼルマ・メーアバウム=アイジンガー」の記事における「詩のスタイルと評価」の解説
ゼルマは自分たちの身に迫りつつある過酷な現実を目の当たりにして、熱く激しい憧れや深い悲しみ、繊細な感性と鋭い観察とを織り合わせた文学的にも高い水準の詩を作り続けていた。時局は彼女の詩にも反映され、1941年にユダヤ人高等女子ライシアムに通う頃(ルーマニア王国が日独伊三国同盟に加入し、イオン・アントネスクによる独裁政権となった頃)になってから詩にも陰りを増すようになった。同7月7日にナチス・ドイツによるホロコーストでユダヤ教の大聖堂が焼き討ちに遭い、数百人のユダヤ人が殺害された時も、詩『ポエム』で「わたしは生きたい/わたしは死にたくない/生はわたしのもの」といった悲痛な感情を込めて綴った。これは、他のユダヤ系ドイツ語詩人がゲットーや収容所内で実践したような、伝統的詩形式により「ことば」の音楽性を高めて詩の世界へと入り込むことにより、現実の苦難から身を引き離し生きる力を得る営みであることを意味している。 また、ゼルマが同じユダヤ人の詩人でありながら、イディッシュ語でもヘブライ語でもなくドイツ語に固執しつづけたのは、自分の母国語であることはともかく、ユダヤ系ドイツ語詩人の例に漏れず、ナチズムやホロコーストという現実にさらされているにもかかわらず、いっそう強く保持し続けた詩人にとっての母語であるドイツ語への思いから来たものである。 訳者を含め、複数の詩人や批評家はゼルマの詩を高く評価している。 「(詩の中で)高度なテクニックを駆使している場合でも、いつも自然な流れを感じさせる。ゼルマはドイツ詩の伝統のなかで、またチェルノヴィッツの文学風景のなかで成長しながら、彼女独自のものをつかみつつあった。」秋山宏(詩集日本語版訳者) 「すでに青春時代に、このようにみごとにさまざまな詩形、韻律、リズムを自分のものにしているゼルマは、もし生きていれば、偉大な詩人になったであろう…。」トーマス・B・シューマン(批評家) 「この詩は文学を越えたドキュメントである。」カール・クローロ(英語版)(ドイツの詩人・翻訳家) 「これは人びとがつき動かされ、涙ながらに読む抒情詩である。とても清らかで、とても美しく、とても明るく、そしてとても脅かされた詩だ。」ヒルデ・ドミーン(ドイツの叙情詩人・作家) 「この若き乙女の声は、彼女がもたらす人生の豊かさの輝ける暗示で、長い歳月をもって我々の心を打つことになるであろう。」J・M・クッツェー(ノーベル文学賞受賞者) 「彼女が死の前に遺した撰集が明かすものは、それ自身が滅びることなく生き続けていることにある。ゼルマは強制収容所の奥底から柔らかく薄暗い声で我々に語りかけてくる。そして灰の中から救い出された詩は、喪失と恐怖の“千の暗闇”(ゼルマのいとこのパウル・ツェランの言葉より引用)を克服した驚くべき物語を我々に提供し、年月をかけて我々の元に届くだろう。」アリエル・ドルフマン(英語版)(演劇『死と乙女(英語版)』の著者) ゼルマの詩は同郷のローゼ・アウスレンダーやパウル・ツェランらの詩と共に、ブコヴィナにおけるドイツ・ユダヤ文化の重要な作品として位置づけられている。
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