観法
★1.水想観。心の中に水を観じ、自身とその周囲をすべて水にしてしまう。
『弘法大師御本地』(御伽草子) 空海は、たびたび水想観を修し、家の内が池となることがよくあった。
『撰集抄』巻7-6 恵心僧都は常に水想観を修し、我が身と一室を、ことごとく水になしていた。ある日、保胤入道が訪れると、室内は水ばかりで恵心の姿がなかったので、保胤は枕を水中に投げ入れた。翌日、恵心は「胸苦しいので枕を取ってくれ」と言って再び水想観をし、保胤は水に入って枕を取り出した。保胤の身体は少しもぬれなかった。
『ねむり姫』(澁澤龍彦『ねむり姫』) 中納言家の14歳の姫君が突如昏睡におちいり、いつまでも目覚めない。数十年以上が経過し、姫は14歳の姿のまま、小舟に乗せられて宇治川へ流される。姫には異母兄がおり、80歳近くの老僧になっていた。老僧は自らの死期を悟り、宇治川の水を部屋にまいて、最後の水想観をする。彼の身体も外界も、すべて水になる。水の彼方に小さな点が見え、だんだん近づいて来る。それは、眠る姫君を乗せた小舟である。
アゴの杢之助の話 江戸時代。アゴが長いので「アゴの杢之助」と呼ばれた泥棒が、夜、愚堂国師の部屋へ盗みに入る。ところが部屋には誰もおらず、柏の木が1本そびえていた。愚堂は坐禅をして「庭前の柏樹子」の公案に取り組んでおり、我を忘れて公案になりきっていたため、愚堂の姿は消え、室内に柏の木が生じたのである。坐禅を終えると、愚堂の姿が現れた。杢之助は驚き、愚堂に弟子入りした。
★3.次の例は、禅師が「無」を観じていたために、その姿が見えなかったのであろう。
『雨月物語』巻之5「青頭巾」 旅の快庵禅師が、山寺に宿を請う。山寺の僧は鬼畜の境涯に陥っており、快庵禅師を喰おうとして、月明の夜、寺中を捜し回る。しかし、どこにも快庵禅師の姿は見えない。快庵禅師は終夜眠らず一所に坐しており、朝になって僧はようやく快庵禅師の姿を見出す。僧は「鬼畜の目で活仏を見ることができないのは当然だ」と言って、恥じ入る。
*→〔変身〕3aの、『変身』(カフカ)の主人公グレゴール・ザムザは、自身を「毒虫のようなものだ」と観じていたゆえに、家族の目からも彼が毒虫に見えたのかもしれない。
『閑居の友』上-19 中間僧(ちゅうげんそう=雑用をする法師)が毎夜、不浄観を修していた。それを知った主が、「粥を観じて見せ給え」と望む。中間僧が、粥の入った椀を折敷(おしき=角盆)でおおい、しばらく観念してあけて見ると、粥はすべて白い虫に化していた。
*幽界に行った人が精神統一に入ると、人間の姿は消えて、白い球になる→〔玉(珠)〕9の『小桜姫物語』(浅野和三郎)10。
*狸や狐がいろいろなものに化けるのも、「観法」と同様の原理である→〔狸〕10の『悟浄歎異』(中島敦)。
*「水」「木」「虫」など心の中に観じたイメージが他人の目にも見える「観法」の物語とは異なり、心の中の思いが言葉として他人に知られてしまうのが→〔悟り〕6の『サトラレ』(本広克行)である。
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