青頭巾
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青頭巾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 10:23 UTC 版)
「青頭巾」に出てくる主人公の改庵禅師は改庵妙慶といって、室町時代に実在した禅僧である。この改庵禅師が美濃国で夏安居をした後、東北のほうへ旅に出た。下野国富田へさしかかったのは夕方のことだった。里に入り大きな家を訪ね宿を求めると、禅師を見た下人たちは、「山の鬼が来た」と騒ぎ立て、あちこちの物陰に隠れる。現れた主人は改庵が鬼ではないことを確かめると迎え入れ、下人たちの無礼をわびる。騒ぎのわけを聞くと、近くの山の上に一つの寺があって、そこの阿闍梨は篤学の高僧で近在の尊敬を集めていたが、灌頂の戒師を務めた越の国から一緒に連れ帰った稚児に迷い、これを寵愛するようになった。稚児が今年の四月に病で死ぬと、阿闍梨は遺体に何日も寄り添ったまま、ついに気が狂い、やがてその死肉を食らい、骨をなめ、食い尽くしてしまった。こうして阿闍梨は鬼と化し、里の墓をあばき、屍を食うようになったので、里人は恐れているという。禅師はこれを聞いて、古来伝わる様々な業障の話を聞かせた。そして、「ひとへに直くたくましき性のなす所なるぞかし」「心放せば妖魔となり、収むる則は仏果を得る」と言い、この鬼を教化して正道に戻す決心をした。 その夜、禅師は件の山寺に向かうと、そこはすっかり荒廃していた。一夜の宿をたのむと、現れた主の僧は、好きになされよと不愛想にいい、寝室に入っていった。真夜中、坐禅を組んでいると、食人鬼と化した僧が部屋から現れ、禅師を探すが、目の前に禅師がいても見えずに通り過ぎ、あちこち走り回って踊り狂い、疲れはてて倒れてしまった。夜が明け、僧が正気に戻ると、禅師が変らぬ位置に坐っているのを見つけ、呆然としている。禅師は、飢えているなら自分の肉を差し出してもよいと言い、昨夜はここでずっと坐禅を組んでいたと告げると、僧は餓鬼道に堕ちた自分の浅ましさを恥じ、禅師に救いを求めた。禅師は僧を庭の石の上に座らせ、被っていた青頭巾を僧の頭にのせた。そして、証道歌の二句を公案として授けた。「江月照松風吹 永夜清宵何所為」。この句の真意が解ければ、本来の仏心に出会うことになると教えて山を下り、東北へ旅立っていった。 一年後の十月、禅師は旅の帰りに富田へ立ち寄り、以前泊まった家の主人に様子を聞くと、あのあと鬼が山を下ったことは一度もないといい、喜んでいる。里人は鬼の災厄を逃れたが、僧の生死がわからなかったため山に登ることは禁じられ、現在の様子は誰も知らなかった。そこで禅師が山に登って寺の様子を見てみると、そこはさらに荒れ果てていた。庭の石の上にうずくまる影があり、傍によると、低い声であの公案の文句をつぶやいているのだった。師は杖をもって「作麼生(そもさん)、何の所為ぞ」と頭を叩くと、たちまち僧の体は氷が朝日に解けるように消え、あとには人骨と、あの青頭巾だけが残った。こうして、僧の妄執は消え去ったのであった。改庵禅師はその後この山寺を、真言密宗から曹洞宗に改めて再興し、住職に就任した。これが北関東の曹洞宗本山として大いに栄えた、現在の栃木市の大中寺である。
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