視察・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 03:44 UTC 版)
「チャレンジ三宅島モーターサイクルフェスティバル」の記事における「視察・評価」の解説
2006年5月に、石原都知事や平野三宅村長らは、公道レースの手本となるTTレースの視察でマン島を訪れた。 プロレーサーの宮城光は、都から依頼を受け、三宅島を4回訪問し、予定コースの外周道路(30km)を視察・試走した。評価は次の通りである。 幅員が6-7mと狭く道路沿いに家屋や石垣などがある。緩衝材などで対策しても安全性は不十分 都内の総合病院まで最短40分かかり、救急設備も不十分 車両の安全地帯がなく、事故の場合は二次災害が懸念される 宮城は2007年2月5日、前述の理由などを添えて「公道レースは開催すべきではない」という報告書を都や日本モーターサイクルスポーツ協会(MFJ)に提出した。また、世界選手権参加経験のある難波恭司も2006年8月に同様のリポートを提出した。 これに対し、都が発表したコースは当初の外周道路のままであり、計画を変更する予定もないとしていた。石原都知事は「レースは危険があるからエキサイトする。ある程度ライダーの自己責任もある」「あの島に活力を与えるには、これしか方法がない。これしか活路がない」と発言した。 2007年7月末の定例会見で石原都知事は翌年度以降は公道レースを行うと発言した。それに対しホンダは「レースに対する考え方が違う」として、イベントへの協力を辞退し、他の3メーカーもそれに同意した。ただし海外のバイク・メーカーはこの限りではなく、ハーレーダビッドソンやBMWをはじめとする数社が協賛の名乗りをあげ、2008年にはその数は倍増した。 結局、安全面の確保が難しいことなどを理由に、2007年7月に都は周回道路でのレースを断念し、阿古地区の2.5kmの周回道路を封鎖して、時速70kmの制限速度の下、レーシングマシンが公道走行をおこなう「ツーリストプロ」が提案され、このイベントの特徴となった。また閉鎖中の三宅島空港の滑走路でのドラッグレースや、周回道路でのツーリングイベントなども開催され、公道レースから通常のバイクイベントへと方針を転換した。 2009年、国内4メーカーが協賛となったが、上述のような経緯があるため、これは将来の公道レース開催を断念することとの引き換えとする報道がある。「ツーリストプロ」でさえ、もし開催されなくなったら、このフェスティバルの売りが無くなり、ありきたりのバイク・イベントをわざわざ見に行く者はいないとの意見が多数を占める。 当事者である島民は概ね歓迎しているが、年に3日程度の現在のイベント状況では観光収入はあまり望めず、オートバイを通しての通年の集客を模索中。 ドラッグレースは、四輪試走が出来なかったため、レースの結果が全日本選手権への参戦と考慮される「MFJ公認」ではなく、単なる「―承認」であった。2009年はドラッグレース自体の開催がなくなった。
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