装甲についての司馬遼太郎の言及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 09:01 UTC 版)
「三式中戦車」の記事における「装甲についての司馬遼太郎の言及」の解説
防御力の要となる装甲についてだが、作家司馬遼太郎の影響もあり、ある意味有名な話である。新潮文庫から出版された彼の著書『歴史と視点―私の雑記帖』に以下のようなエピソードを著述している。昭和20年、当時見習士官であった司馬は自隊に配備された三式戦車を見た。このとき彼は、九七式中戦車の装甲がヤスリで削れなかったことを思い出し、三式戦車の装甲にヤスリを当てたところ、削れないだろうと思っていた装甲が削れた。これを見た司馬は「腐っても戦車ではないか!」と絶句した。装甲の硬度と防御力に不安を持った司馬と上官は暗然とした顔をしていた、というものである。 当初、司馬の他の批判とは違い、見習士官時代の様々な記述に関しては、実体験に基づく内容であったため、事実だと受け止められ、旧陸軍に対する批判の根拠として挙げられることも少なくない。しかし、きちんと検証されないままこの内容だけがひとり歩きしてしまった感があり、後に少なからず反論されている。 比較的有名なのは、歴史学者の秦郁彦の著書『昭和史の秘話を追う』である。彼は当時の所属部隊関係者などに聞き取り調査を行い、見習士官時代の記述に関しては、信憑性の低さ(見習士官である新米の司馬は、所属中隊に1両しかなかった新型の三式戦車の乗員ではなく自他共に認めるほど戦車兵としての技量・知識が低かったこと、そして司馬の作家としての旧陸軍に対する批判的な誇張・フィクションの多さ)を指摘している。桑原嶽は、司馬の軍事知識の欠如に起因する司馬の著作『坂の上の雲』の記述の問題点を数多く指摘している。その上で「司馬は作家であり、軍事については素人に過ぎない。司馬には学徒出身の陸軍将校として2年ほどの軍隊経験があるが、そのレベルの経験・知識は、軍事を真に理解するには逆にマイナスになる」という趣旨を述べている。 また、装甲の質に関しては、鋲接(リベット接合)の九七式中戦車の装甲は浸炭処理された表面硬度の高い第二種防弾鋼板であり、溶接の三式戦車の装甲は表面焼入された第三種防弾鋼板となっており、装甲の材質や装甲表面の処理の違いにも留意する必要がある。九七式は装甲の厚さと硬さで命中弾を弾き返すが、硬くしたが故に割れやすいという構造となっているのに対し、三式は均質圧延鋼を採用することで同じように命中弾を弾き返すほか、粘りを持たせることで被弾時に装甲が割れにくさを取り入れている。そのため、三式の装甲の方がある意味やわらかくなっているため、やすりで削れてしまうことは不自然ではない。 ただ、戦争末期に生産されたため、額面通りの防御力を発揮できたかは不明である。また、構造の違いではなく、装甲の質自体の悪化により、本当に削れてしまったという可能性も否定できない。仮に司馬の観察が誤りでない真実であったとしても、他国にも類似例が存在しており(詳細はIV号戦車A型を参照)、様々な点を考慮する必要がある。他にも装甲について言及している文献が存在するが、伝聞情報に留まる。
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