衣装詳細
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 21:33 UTC 版)
この節の記述は、関保之助ほか編『歴代服装図録 染織祭編』(1933年)、切畑健『日本の女性風俗史』(1997年)による。 上古時代「機殿参進の織女」(16領) 古墳時代における織女が機殿に参進する様子を『万葉集』の記述や埴輪の服装を参考に復元した。衣、表裳、下裳、単、下着、紕帯、襪、領布、白帯、白紐で基本構成されている。 奈良朝時代「歌垣」(20領) 上代における歴代天皇が催した歌垣にちなみ、男女が集って歌舞を催す歌垣へと向かう宮廷女性の姿を復元した。薬師寺の吉祥天像や女神像、正倉院の『鳥毛立女屏風』を参考に、いまだ中国の影響が大きかった宮廷女性の衣装を考証しているが、実際の織物や染め技法・文様は正倉院に伝存する天平時代の古裂を参考にした。[[唐衣]、表着、裳、袴、襦袢、紕帯、襪、領布、帯で基本構成されている。 平安朝時代「やすらい花踊」(23領) 年中行事絵巻の詞書にある、高尾寺の法華会に催された「やすらいはな」を参考に復元した。衵、単、小袖、帯、カラゲ紐で基本構成されている。 鎌倉時代「女房の物詣」(22領) 神社仏閣を参詣する物詣を再現したもので、『石山寺縁起絵巻』のような鎌倉時代における絵巻に描かれた衣装、鶴岡八幡宮の御神服の裏地に用いられた文様、四天王寺に伝存する掛守などを参考に、女房姿と共女を復元した。女房は袿、小袖、下着、襦袢、帯、下締、カラゲ紐、掛帯。共女は袿、小袖、下着、襦袢、下締、カラゲ紐、帯姿で基本構成されている。 室町時代「諸職の婦女」(13領) この時代にあらわれた歌合の流行の一つである職人歌合を描いた絵巻物や伝存する小袖、小袖裂を参考に復元した。この時代のみ職人を主題としており、当初の目的であった大衆風俗の復元で、吉川観方や野村正治郎のコレクションを参考にしたものも含まれている。打掛、小袖、下着、襦袢、帯または小袖、下着、襦袢、帯で基本構成されている。 桃山時代「醍醐の花見」(18領) 慶長3年(1598)3月15日、豊臣秀吉が醍醐寺三宝院で行った醍醐の花見の様子を再現し、当時の風俗図屏風や肖像画の他、高台寺に伝存する高台院所用の小袖、奈良金春座の能装束、宇良神社に奉納されていた繍箔小袖などを参考に復元した。打掛、間着、第1下着・第2下着、帯、襦袢、小紐、足袋で基本構成されている。 江戸時代前期「小町踊」(16領) 寛永期以前により京都で7月7日の七夕に行われていたとされる小町踊りの様子を元禄期の風俗に設定し、現存する多くの小袖や小袖裂などや吉川観方のコレクションから復元した。この時代は縮緬や友禅染といった染織技術が大きな進歩をみた時代であったため、それらを多く用いて特色を出した。表着となる小袖、下着の小袖、襦袢、かかえ帯、裾除、帯、足袋で基本構成されている。 江戸時代後期「京女の晴着」(15領) 身分の違いによって着用する衣装のデザインや技法、結髪の仕方や帯の結び方などが大きく異なる時代であったため、公家、武家、町家の中流以上の3つに風俗を分け時代考証を行い、伝存する小袖や小袖裂などから復元した。基本構成は、公家が被衣、掻取、間着、下着、長襦袢、間帯、かかえ帯、足袋。武家は打掛、間着、下着、襦袢、帯、帯上、かかえ帯。町家は上着、下着、襦袢、裾除、帯、帯上、かかえ帯、足袋であった。
※この「衣装詳細」の解説は、「染織祭」の解説の一部です。
「衣装詳細」を含む「染織祭」の記事については、「染織祭」の概要を参照ください。
- 衣装詳細のページへのリンク