蘇我部と分布とは? わかりやすく解説

蘇我部と分布

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 10:17 UTC 版)

蘇我氏」の記事における「蘇我部と分布」の解説

蘇我部蘇我氏部民である。『新撰姓氏録によれば部首仲哀天皇皇子・誉屋別命末裔であるという。蘇我部は、畿内では山城国河内国に、東海道では遠江国上総国下総国に、東山道では美濃国信濃国陸奥国に、北陸道では越前国に、山陰道では丹波国但馬国隠岐国に、 山陽道では周防国に、南海道では阿波国讃岐国土佐国に、西海道では筑前国肥後国広範囲亘って少しずつ分散して存在していた。 蘇我氏東国北陸地方部民有していたことは史料によって知ることが出来るが、それが何時頃どのようにして部民所有する至ったということは知ることが出来ない。ただし、『日本書紀』記されている、武内宿禰景行天皇御代に、北陸及び東方諸国地形百姓の状態を視察し、「蝦夷の地は肥沃であるから討ちてとるべし」と奏言したという物語は、武内宿禰実在性乏し人物であるものの、彼は蘇我氏祖先とされている人物であって蘇我氏東国及び北陸部民所有している現実物語ろうしたものであるとする説が存在するまた、蘇我蝦夷蝦夷自身の家に饗応したという記述『日本書紀』にあり、大化改新後にはこうした饗応はすべて朝廷において行なわれていることから、この時代に於ける蘇我氏勢力物語るものであると言える。 さらに、『日本書紀』には蘇我蝦夷が常に50人の兵士に身を守らしめ、「東方儐従者(アズマノシトベ)」といったという記述もあり、東方従者というから、その兵士多く東国の人であった考えられ、それは蘇我氏東国部民解して差支えなく、蝦夷身を守ることによって部民関係が成立していたと考えることができる。このような関係は蝦夷場合のみでなく、馬子稲目の頃からあった可能性があるものの、そうした部民が、東国陸奥という遠隔の地に分布しているため、その関係はそれほど古い時代にまでには遡れないと思われる加えて阿波讃岐周防筑前諸地域分布する部民であるが、考えられることは、蘇我氏朝鮮との関係であり、その分布地域が、瀬戸内海沿岸にあって朝鮮との交通路途中にあることがわかる。 土佐国香美郡には宗我郷があり、隣接する長岡郡にも宗部郷が存在していた。香美郡には物部郷も存在しており、物部鏡連が郡司務めていたが、『日本書紀』には「蘇我大臣之妻、是物部守屋大連之妹也。大臣妄用妻計而殺大連矣。平亂之後、於攝津国四天王寺分大連奴半與宅、爲大寺田庄。」という記述があり、物部氏私財馬子処分委ねられその結果土佐国にも蘇我氏進出し蘇我部設置されたという経緯想定できる。ただし、同じく『日本書紀』に「大臣祖母物部弓削大連之妹。故因母財、取威於世。」という記述あるように、物部氏私財全て蘇我氏取り込まれたわけではなく物部氏遺財として区別された状態で、蘇我氏中にそれを継承する者がいたことが窺われる。そのため、香美郡においては蘇我部物部鏡連の共存なされた考えられる平安時代における蘇我部、あるいはそれと思しき人物以下の通りである。 蘇我兼広(土佐国安芸郡大領で、長保2年1000年)に補陀落渡海行なった蘇我兼実(兼広の息子で、大領地位引き継いだ) 宗我弘範(長徳2年996年)に右衛門志兼検非違使死去した宗我部如時(長徳2年996年)に越前大掾として見える) 宗我部如節(長保2年1000年)に相撲人として見える) 宗我部秋時(長和4年1015年)に右官掌補された) 曽我部如光(長元元年1028年)に土佐権介として見える) 曽我部正任(永承5年1050年)に土佐介として見える) なお、『日本三代実録貞観10年12月21日条には、「土左無位宗我神並従五位下」という記述がある。 安芸郡存在する多気坂本神社は、蘇我氏同族である坂本臣や阿芸那臣が建立したという。 「鎌倉遺文」第8105号には、応保元年1161年)に「当(土佐国幡多郡郡王宗我部滅亡と見える海音寺潮五郎は、長宗我部氏の祖は、蘇我部管理人であった秦氏、あるいは蘇我部そのもの末裔であるとする説を提唱した

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