蘇我氏と東国の古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 10:17 UTC 版)
旧上総国武射郡(現在の千葉県山武市)の板附古墳群にある駄ノ塚古墳や駄ノ塚西古墳や、印旛郡にある龍角寺岩屋古墳は方墳であるが、同時期の古墳である山室姫塚古墳は円墳である。これは、それぞれの古墳を築造した首長が結びついた畿内のヤマト王権内の勢力に関係しており、畿内で春日向山古墳(用明天皇陵)、山田高塚古墳(推古天皇・竹田皇子陵)、石舞台古墳(蘇我馬子墓)といった大型方墳を築造したのは、蘇我氏や蘇我氏と関係が深い豪族や天皇家の皇族で、牧野古墳などの大型円墳を築造した勢力は非蘇我氏や蘇我氏と関係が薄い天皇家の皇族であり、関東地方でも方墳を築造した勢力は蘇我氏や蘇我系の王族との関係が深く、円墳を築造した勢力は非蘇我氏や蘇我氏と関係が薄い王族との関係が深いという説が提唱されている。 なお、龍角寺古墳群の付近にある龍角寺は、法起寺式伽藍配置であり、瓦の様相が蘇我倉山田石川麻呂の建立した山田寺と同様であることから、畿内の蘇我氏と関係する在地の豪族が龍角寺周辺に存在したことがわかる。
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