萌えフォビア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/16 17:54 UTC 版)
萌えフォビア(もえフォビア)とは、架空のキャラクターそのものを欲望するセクシュアリティに対する差別や偏見や恐怖感である[1]。性的欲望は生身の人間に対して向かうはずだという社会規範(対人性愛中心主義)のもとで生じるものである[2]。
概要
二次元キャラクターを欲望する人々や、二次元キャラクターを描いた作品そのものに対する嫌悪感として現れる。その例として、現実の人間でない存在に惹かれることを「恥ずかしい」「異常」とみなす考え方が挙げられる[3]。また、現実の人間でない存在に性的に惹かれるはずはない、という否認として現れることもある[2]。その例として、未成年のように見える二次元キャラクターへの欲望を、現実の生身の未成年への欲望(小児性愛)であるかのように扱う誤認が挙げられる[2][4]。
マンガ研究者の伊藤剛が提唱した概念だが、クィア研究では、フィクトセクシュアル差別を捉える先駆的な概念だと評価されている[2]。またフェミニズム・クィア研究では、萌えフォビアがトランスフォビアと結びついていることが指摘されている[5]。
伊藤剛による提唱
伊藤は当初この概念を、オタクの第一世代が「単に動物化はみっともないとか『萌え』は恥ずかしいとか萌えてる奴は駄目な奴という物言いだとか、本当は萌えているくせにそれをシニカルに自分から切り離す」ということや、あるいは「『萌えている私』という自己認識からの逃避」という意味で用いていた[3]。
しかし伊藤はのちに、「フォビックな振る舞いの現れ方を欲望の「否認」にまで拡張するならば(……)私見では、たとえば幼女の〈ように〉見えるキャラへの「萌え」を、無媒介・無制限に小児性愛であると断じ、社会から排斥しようとする姿勢などにも」萌えフォビアを見出せると述べている[4]。
伊藤はマンガ表現論にもとづいたマンガ読書経験の考察から、萌えフォビアの「心理機制」を論じている。伊藤によれば、「萌え」は「『マンガのおばけ』――キャラ図像そのものが持つリアリティ――と、『ウサギのおばけ』――身体を表象することによるリアリティ――の境位に成立する」ものである[6]。こうした観点から、萌えフォビアには「性的な欲望をめぐるフォビア(この場合は、自身が性的な欲望の主体であることへの怯え)」だけでなく、「「マンガのおばけ」が性的な欲望と結び付けられたことに対するフォビア」も含まれるとされる[7]。
クィア研究
フェミニスト・クィア研究者の松浦優は、萌えフォビアがトランスフォビアと結びついていると指摘しつつ[8]、萌えフォビアの背景にある社会構造を対人性愛中心主義と呼んでいる[5]。
松浦によれば、萌えフォビアの背景には、「正当なジェンダーは生物種としての人間によって例化ないし実体化されるものだという考え方」であるヒューマノジェンダリズムと、人間との性愛を規範的なセクシュアリティとみなす対人性愛中心主義がある[5]。
脚注
- ^ Galbraith, Patrick W. (2011). “Lolicon: The Reality of ‘Virtual Child Pornography’ in Japan” (英語). Image & Narrative 12 (1): 83–119. ISSN 1780-678X .
- ^ a b c d 廖希文; 松浦優『増補 フィクトセクシュアル宣言 : 台湾における〈アニメーション〉のクィア政治』2024年3月31日。doi:10.15017/7236466 。2025年4月16日閲覧。
- ^ a b 伊藤剛「Pity, Sympathy, and People discussing Me」『網状言論F改』青土社、2003年、89-90頁。
- ^ a b 伊藤剛 (2008). “「萌え」と「萌えフォビア」”. 國文學 53 (16): 20.
- ^ a b c 松浦優 (2025). “「萌え絵問題」から「対人性愛問題」へ――二次元性愛の抹消とトランスジェンダー差別の結びつきを踏まえて”. Gender & Sexuality (国際基督教大学ジェンダー研究センター) (20): 1-24 .
- ^ 伊藤剛 (2008). “「萌え」と「萌えフォビア」”. 國文學 53 (16): 22.
- ^ 伊藤剛 (2008). “「萌え」と「萌えフォビア」”. 國文學 53 (16): 23.
- ^ 松浦優 (2022年). “対人性愛中心主義とシスジェンダー中心主義の共通点:「萌え絵広告問題」と「トランスジェンダーのトイレ使用問題」から”. 境界線の虹鱒. 2023年6月24日閲覧。
関連項目
外部リンク
萌えフォビア
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詳細は「萌えフォビア」を参照 萌え絵に関する炎上は非常に多い。ここでは代表的な事例の一部を記載する。詳細は萌えフォビアを参照。 「ポルノ被害と性暴力を考える会(PAPS)」理事でフェミニストの北原みのりは、2017年4月、ニュースサイトに「萌えキャラは性差別!」というコラムを公開し、以下のように主張した。 「萌えキャラに求められるのは、骨格や筋肉などの合理性ではなく、『見たいものを見たいように描く説得力』である」と友人の萌え絵師より聞いた。 影とツヤを重視し、乳房の形や股間の位置が分かるよう服のシワや影を入念に描き込み、不自然な角度で足首や手首や腰や頭をまげ、内股は必然である萌えキャラは、妄想の中の「幼くて可愛い女の子」である。 幼さとエロさ、自分の性的魅力に無自覚で、相手の性的欲望に寛容であること、「女子高生」といったモノ化された女の記号の表象が萌えキャラである。 描き手の性別は関係なく、いい大人がサブカルチャーをありがたがるのは、社会が文化と正気を失っている証拠である。 2018年10月、「子供向けの本に萌え絵やアニメ絵が使われるのは有害である」とTwitterで批判がおき、炎上したことで、日本テレビの情報番組『スッキリ』に取り上げられた。翻訳家でエッセイストの渡辺由佳里や一部のフェミニストが、萌え絵に対し以下のように批判した。 可愛く・適度に露出・体をくねらせ・頬を紅潮させ・男に媚びる」などの性質は、男性にとって都合のいい女性像であり、女性にとってそれ以外の選択肢を許さない同調圧力・価値観の再生産になりかねない。 萌え絵を公共の場で発表するのは環境型セクハラであり、少女は「私もこれを受け入れないと、社会から受け入れてもらえない、愛されない」と思い込むようになり、無意識のうちに「萌え絵」を受け入れて模倣するようになる。 さらに別の一部のフェミニストは、いとうのいぢらが挿絵を手掛ける角川つばさ文庫など、漫画やアニメ風のイラスト使用そのものを批判し、炎上の発端となった。主張は以下のようなもの。 大人が子供にウケ狙いで媚びている。 日本の書籍はすべてが幼児化している。 子供が初めて出会う文学作品や古典作品はある程度の格式や美意識があってほしい。 作品の文脈を無視した改悪である。 2016年12月11日、『デ・ジ・キャラット』などを手掛けた女性漫画家のこげどんぼ*はTwitterで、「なぜ女性が萌える女の子を描くのか」について持論を展開し注目された。「こげどんぼ*は女だったのか」「おっさんが描いてるかと思ってた」などと長く言われてきたが、萌え絵を描こうと思っていたのではなく、自分が思う「かわいい」を突き詰めて行ったら勝手にカテゴライズされただけであり、大きくなっても鉄道や特撮ヒーローを愛し続けている男性に似て、お姫様の絵をかくのが好きだった幼児時代から路線ブレしなかったからと述べ、そのような女性萌え絵師は世の中に多いとした。
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