英国海外航空781便墜落事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/04 13:10 UTC 版)
回収された事故機残骸
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出来事の概要 | |
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日付 | 1954年1月10日 |
概要 | 胴体構造欠陥 |
現場 | ![]() |
乗客数 | 29 |
乗員数 | 6 |
負傷者数 | 0 |
死者数 | 35(全員) |
生存者数 | 0 |
機種 | デ・ハビランドコメット |
運用者 | ![]() |
機体記号 | G-ALYP |
出発地 | ![]() |
第1経由地 | ![]() |
第2経由地 | ![]() |
第3経由地 | ![]() |
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最終経由地 | ![]() |
目的地 | ![]() |
英国海外航空781便墜落事故(えいこくかいがいこうくう781びんついらくじこ、BOAC Flight 781)は、1954年1月10日にイタリア・エルバ島沖のティレニア海上空で発生した航空事故である。
世界最初の実用的ジェット旅客機であるイギリスのデハビランド コメットで運航されていた英国海外航空781便(イギリス領シンガポール発ロンドン行)が、飛行中に空中分解して墜落した。同時期、コメットに存在した技術上の欠陥によって発生した航空事故(コメット連続墜落事故)の1つである。
事故の概要

1954年1月10日、英国海外航空(現・ブリティッシュ・エアウェイズ)所属コメット3号機 "ヨーク・ピーター"(York Peter)(機体記号G-ALYP)は781便として、シンガポールからロンドンへ向けて飛行していた。経由地であるローマのチャンピーノ空港を世界時9時34分(現地時間10時34分)に離陸した。同便には乗員6名(操縦乗員と客室乗務員3名ずつ)と乗客29名(うち子供10名)が搭乗していた。またヨーク・ピーターは1952年5月に世界最初の定期ジェット旅客機として就航した輝かしい機体であった。
世界時9時50分ごろに管制塔へ定期通信を入れた後、781便の11分前にローマを離陸して付近を飛行していた同僚の "アーゴノート" 機531便(カナディア製DC-4, 機体記号G-ALHJ、コールサイン"How Jig")と気象条件情報交換のため無線通信をしていた。世界時9時52分頃、781便のアラン・ギブソン機長(当時31歳)のメッセージが、“George How Jig, did you get my...”(531便、そちらに私の…)と言ったところで途切れてしまった。この時781便は地中海のエルバ島上空26,500フィート(8,077 m)を巡航していたが、この瞬間にヨーク・ピーターの前側胴体天井外壁に設置されていたADF(自動方向探知器)アンテナの穴のフレームより亀裂が爆発的に広がり、破壊が胴体後部、機首、主翼の順に起きたため、あっという間に空中分解してバラバラとなった残骸が炎や煙に包まれて海上に落下して行った。
この時、爆発を目撃したエルバ島の漁師達が船で現場へ急行したが、生存者を発見することは出来なかった。この事故で35名全員が死亡した(そのうち遺体が回収されたのは15名)。この事故の犠牲者の中には、オーストラリア出身のBBCとABC記者チェスター・ウィルモットも含まれていた。現在、エルバ島には事故犠牲者慰霊塔が立てられている。
なお、この事故でコメットは一時的に飛行停止となったが、問題個所とされた部分を改修した後に飛行は再開された。しかし、再開直後の4月に同型のコメットが墜落する事故が発生し、耐空証明が取消され、再度飛行停止措置が取られた。
事故原因

原因究明のために、通称「エルバ島作戦」とよばれる大規模な残骸の回収作業がイギリス海軍によって行われた。またイギリスのロイヤル・エアクラフト・エスタブリッシュメント (RAE) で残骸の復元作業が行われたり、与圧された胴体が外壁の疲労で破壊された可能性が指摘されたため、巨大な水槽を建造してその中に実際にコメットの胴体を沈め、水圧を掛ける事で地上で人工的な与圧状態を作り出すという極めて大がかりな実験が行われた。
その結果実際には低い強度しかなかったことが判明した。そのため最終的にはコメットには当時の航空工学では判明していなかった設計上の瑕疵により、与圧された胴体の繰返し変形による金属疲労が原因で空中分解事故を起こしたと断定された。そのため、事故機と同型機コメット1は永久飛行停止措置が取られ、就航から僅か2年余りで退役することとなった。
参考文献
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- 鳥養鶴雄 『大空への挑戦 プロペラ機編』(グランプリ出版 2002年)
- デイヴィッド・オーウェン、青木謙知監訳 『墜落事故』(原書房 2003年)
- 藤田日出男 『あの航空機事故はこうして起きた』(新潮社 2005年)
- ニコラス・フェイス、小路浩史訳 『ブラック・ボックス』(原書房 1998年)
- 青木謙知 『航空事故の真実』(イカロス出版 2005年)
- 中尾政之 『失敗百選』(森北出版株式会社 2005年)
関連項目
外部リンク
- ジェット旅客機コメットの空中分解 - 失敗知識データベース(日本語)
- 外山智士ホームページ(日本語)
- コメットの航空事故一覧(英語)
- Marc Schaeffer's Comet Website - ウェイバックマシン(1999年1月17日アーカイブ分)(英語)コメットの歴史、事故についての概略あり
- 事故機の写真
英国海外航空781便墜落事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 03:34 UTC 版)
「コメット連続墜落事故」の記事における「英国海外航空781便墜落事故」の解説
詳細は「英国海外航空781便墜落事故」を参照 1954年1月10日、BOAC のシンガポール発ロンドン行781便(初就航を担った Mk.I 1号機、G-ALYP、フォネティックコード:"ヨーク・ピーター" (Yoke Peter))は、経由地のローマ・チャンピーノ空港を協定世界時 (UTC) 9時34分(現地時間10時34分)に離陸した。 当時の気象は穏やかで、地中海のエルバ島上空 26,500 ft (8,077 m) を巡航中の781便は、先にチャンピーノを離陸した同僚機の"アーゴノート"(カナディア製DC-4、G-ALHJ、フォネティックコード:"ハウ・ジグ")であるロンドン行531便に上空の状況を伝えるため、無線交信を開始した。離陸から20分程しか経っていない9時52分 (UTC) 頃、781便の機長が"George How Jig, did you get my..."「531便、そちらにこちらの...」と言い掛けたところで途切れ、破裂音が通信記録として録音された。 事故現場から北西20km先の地点でこの瞬間を目撃した漁民は、爆発音の後バラバラになった残骸が炎や煙に包まれて海上に落下していったと証言した。乗員6名と乗客29名全員が死亡したものと推測された。海上から15名の遺体と衣服、郵便袋などの浮遊していた遺留品が回収された(余談だがこの時の搭載郵便物がクラッシュカバーとして何通か現存している)。 事故機の残骸は水深 150m の海底に沈んでいたが、原因究明のため通称「エルバ島作戦」とよばれる大規模なサルベージがイギリス海軍によって行われ、機体の 65% が回収された。捜索を指揮したルイス・マウントバッテン元帥は、現場周辺の漁民を総動員して謝礼をアメリカドルで支払ったため、軽度の国際問題に発展した(後述)。 本件事故の発生を受けた BOAC はコメット全機の運航を停止し、東京、シンガポール、ヨハネスブルグに駐機していた3機を、郵便物以外空席のまま低空飛行でロンドンに呼び戻した。 当初テロも強く疑われたが、同時期に DC-6 の空中火災が連続発生していたこともあり、デ・ハビランド社は燃料系統と電気系の防護策を中心に60箇所を補強改修し、煙感知器を増設した他、BOAC 全保有機の精密検査を実施したものの、特に異常を発見できなかった。 そのため BOAC は操縦員の訓練飛行を再開し、3月12日からは改修済の Mk.I 7号機 (G-ALYW) を用いたテストの結果、約2か月後の3月23日には航空安全委員会から耐空証明が再発行された。だが781便事故の真の原因は解明されぬままであった。 耐空証明再発行によるコメット運航再開からわずか2週間ほどのち、同じ地中海のイタリア沖で再び同様の事故が発生した。
※この「英国海外航空781便墜落事故」の解説は、「コメット連続墜落事故」の解説の一部です。
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固有名詞の分類
機体設計の瑕疵による航空事故 |
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イタリアで発生した航空事故 |
英国海外航空781便墜落事故 リナーテ空港事故 チュニインター1153便不時着水事故 南アフリカ航空201便墜落事故 スペルガの悲劇 |
デハビランド コメットによる航空事故 |
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