英国法の継受と独立戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:50 UTC 版)
「アメリカ法」の記事における「英国法の継受と独立戦争」の解説
アメリカ合衆国は、もともとひとつの国家としてではなく、独立戦争によって 英国から独立した13の植民地の連合を契機に建国されたという歴史を有する。また、建国当初の法曹のほとんどは、イングランドの法曹院の出身者であった。法曹希望者のほとんどは、既に法曹としての実績のある者の見習いになり、まれに法曹学院にわざわざ留学するなどして教育を受けていた。このような経緯からアメリカ合衆国は英国のイングランド法を継受したのである。 そのため、合衆国は、何世紀も前の英国の慣習を起源とするコモン・ローにみられる伝統的な法原則にすべての法制度が立脚している。英国では、国王によって諸侯ないし人民の権利・自由が侵害された歴史から、専断的な権力による人の支配を排除する法の支配が徐々に確立されていった。このような経緯から、法の支配における「法」とは、司法の決定およびそこで示された一般原則ならびに伝統的な慣習の集大成であり、判例が第一次的法源とされた。したがって、日本やドイツのような成文法主義の国と異なり、議会が制定する法律は、判例を修正した規範にすぎないとされている。この点は合衆国でも同様である。 諸邦連合の連合規約によって設置された連合会議は、一院制で、立法作用のみならず、行政作用も有するものとされたが、連合には独自の司法府が存在しなかった。諸邦連合の13の邦は、それぞれが独立の国家として主権を有していたので、連合議会は、いわば各邦の代理にすぎず、その権限は極めて限られており、独自の徴税権も通商規制権もなかった。 そのため、独立後の13の邦の政治・商業は混乱を極め、これに乗じて徳政令を乱発し農民一揆が起こるなど独立前よりもかえって政治・社会が混乱するという事態に陥った。
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