英国水兵殺害事件(イカルス号事件)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:40 UTC 版)
「幕末の外国人襲撃・殺害事件」の記事における「英国水兵殺害事件(イカルス号事件)」の解説
7月6日夜、長崎でイギリス軍艦イカルス号の水兵、ジョン・ホッチングとロバート・フォードの2人が泥酔し丸山の路上に寝込んでいるところを、通りすがりの筑前藩士金子才吉に殺害された。金子は8日に自刃していたが、筑前藩がこれを秘匿したこと。「凶行数時間後の未明に、長崎港内に碇泊していた土佐の帆船と汽船が相次いで突然出帆していたことから、土佐藩の海援隊による犯行と判断し、イギリス総領事パークスが公式代表団を土佐まで派遣するなど躍起になって犯人探索に当たるが、当然ながら犯人は挙がらなかった。明治元年(1872年)10月27日に、犯人が金子だったことが判明した。被害者遺族に見舞金が支払われ、金子と同道していた6名の者が禁錮刑に処せられた。なお、土佐藩はこの対応に時間をとられ、薩土盟約が解消されることとなった。
※この「英国水兵殺害事件(イカルス号事件)」の解説は、「幕末の外国人襲撃・殺害事件」の解説の一部です。
「英国水兵殺害事件(イカルス号事件)」を含む「幕末の外国人襲撃・殺害事件」の記事については、「幕末の外国人襲撃・殺害事件」の概要を参照ください。
- 英国水兵殺害事件のページへのリンク