艦形及び武装配置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 08:26 UTC 版)
本級の基本形状は水面下に鋭角な衝角をもち、乾舷の高い船体を持つ点は同時期のドイツ海軍装甲艦と同じであるが、本級の船体形状は中央部のみ高い長船首楼型船体を採用している点が異なった。設計段階では巡航時は帆走を前提とし、艦の前後に太い帆走用マストを1本ずつ持っていたが、建造中に機関技術が発達したために帆走設備は全廃して代わりに前後にミリタリー・マストを装備した。ミリタリーマストとは、マストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を設け、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)数基を配置したマストのことである。本艦のミリタリーマストにはオチキス社の「47mm(43口径)単装機砲」2基と「37mm(23口径)5連装ガトリング砲」8基が装備されていた。前檣は2段の見張り台があり、後部ミリタリーマストは頂部にのみ1段の見張り台があった。前後が砲塔バーベットによって分断された甲板の通行のためにバーベットの外部に張り出し通路が設けられていた。舷側の水線部には厚さ355mmの複合甲鉄を貼り、強固な防御力の形式である。これは、この頃からフランス海軍で開発された水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するため、遠くまで見張れて遮蔽物の少ない高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれどこの時代の列強各国の大型艦には必須の装備であった。 本級は上面から見て艦体中央部に鍋を伏せたような形状の連装式の主砲塔を前後に互い違いで2基を並列配置していた。フルカン社はバーベット部分を船首楼甲板と同じ高さまで伸ばし、機関室を集中配置して主砲塔の後部に2本煙突を立てた。これにより本級の主砲塔は上部構造物に射界を制限されずに艦首方向に主砲4門全てを指向できた。これは、本級の設計中に起きたリッサ海戦の「装甲艦に対抗するには衝角戦術が有効である」と言う戦訓により片舷火力よりも艦首方向への火力集中が優先されたためである。更に、弾薬庫と機関室を隣接させたことにより防御区画の前後を詰めた分を防御装甲を厚くすることができる理想的な配置であった。なお、この配置は前方および後方には全主砲を向ける事ができるが、両舷方向には左右の主砲塔が干渉し合って2門しか向ける事ができない。 直前に完成した日本海軍の舷側砲郭艦「扶桑」と本級の主砲門数は同じ4門であるが、「扶桑」は主砲を船体中央部の砲郭に片舷2箇所の砲門を開けていたために片舷火力は2門で同等だが「扶桑」は首尾線方向には主砲を指向できないが、本級は主砲4門を指向できるなど射界が格段に改善されており有利であった。 しかし、船体中央部に主砲塔2基と2本煙突を集中配置した事により、主砲斉射時の爆風を避けるために艦橋を甲板上に配置する事が出来なくなった。更にこのままでは船上を前後に移動する時も一々艦内に入ってから行うしかなくなる。このため、本級は主砲塔の上に「空中甲板(フライング・デッキ)」を設ける事により解決した。空中甲板とは装甲艦の時代から弩級戦艦の時代まで広く用いられた上部構造物の様式で、狭い甲板上を有効に使用するために開発された物である。空中甲板の後部に箱型の操舵艦橋が配置され、前後甲板への交通を助けるために設けられた計4か所の階段で支持された。空中甲板の形状は単純に十字型ではなく、左右の船橋(ブリッジ)部分は主砲からの爆風を避けるためにを主砲塔配置に合わせて前後に互い違いとなっていた。2番煙突から後部マストの間の甲板上に艦載水雷艇や艦載艇が並べられ、前後のマストの基部に1基ずつ付いたジブ・クレーンにより運用された。船首楼の側面は、船体の高さの半分の舷側甲板が艦首側面から始まっており、艦首側面に右舷甲板に主錨が1本、左舷側に副錨2本が舷側甲板上に直に置かれ、専用のクレーンで運用された(アンカー・ベッド方式)。船体前部から後部への通行には、間に主砲バーベットが鎮座していたためにバーベットの曲線に沿って手すりの付いた通路を張り出していた。
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