艦本式タービン導入までの沿革とは? わかりやすく解説

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艦本式タービン導入までの沿革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/31 09:04 UTC 版)

艦本式タービン」の記事における「艦本式タービン導入までの沿革」の解説

1908年明治41年三菱合資会社三菱造船所(現:三菱重工業長崎造船所)で通報艦最上竣工長崎造船所ライセンス契約したパーソンズ反動タービン搭載1909年明治42年呉海軍工廠巡洋戦艦伊吹竣工カーチス衝動タービン輸入し据付1912年明治45年横須賀海軍工廠戦艦河内竣工。ブラウン・カーチス式タービン輸入し据付1915年大正4年川崎造船所巡洋戦艦榛名竣工ライセンス契約したブラウン・カーチス式タービン搭載。この時点では、パーソンズ式とブラウン・カーチス式のどちらが優勢判断できず、並行して使用する状況となっている。筑摩二等巡洋艦建造した際に、「筑摩」・「矢矧」はブラウン・カーチス式、 「平戸」はパーソンズ式を搭載し比較使用試みた結果的にブラウン・カーチス式が優勢見られたが、有力な艦艇メーカーである長崎造船所ライセンスパーソンズであったため、長崎造船所新たにブラウン・カーチス式を契約しパーソンズ式のライセンス神戸造船所委譲するまで、長崎造船所建造艦のみ三菱パーソンズ搭載艦となる。最後三菱パーソンズ搭載艦重巡洋艦青葉」である。一方で長崎造船所川崎造船所では独自の改良加えたタービン自社生産するようになっている1916年大正5年佐世保海軍工廠桃型駆逐艦竣工艦本直結タービン搭載。ブラウン・カーチス式を独自改良したもので、直結式としては純国産達成した。しかし世界的に減速機搭載タービン時代入り減速機研究要した1919年大正8年樅型駆逐艦量産開始八八艦隊計画にともなう大量建造備え各種タービン試行兼ねて石川島造船所(現:IHI)に陸用ツェリー式、浦賀船渠ラトータービン搭載許可1920年大正9年佐世保海軍工廠軽巡洋艦球磨竣工技本式オールギアードタービンを搭載組織改編で「海軍技術本部」に改称していた頃に、アメリカウェスティングハウス社が開発した段階減速機導入して製造した当初減速機輸入頼ったが、戦艦陸奥搭載タービンウェスティングハウスから得た設計図元に横須賀工廠作成した減速機搭載した1924年大正13年藤永田造船所駆逐艦朝凪竣工艦本式タービン搭載第一号。技本タービン純国産化に成功以後主力タービンとして海軍艦艇普及した最大のものは1セットで4馬力であった

※この「艦本式タービン導入までの沿革」の解説は、「艦本式タービン」の解説の一部です。
「艦本式タービン導入までの沿革」を含む「艦本式タービン」の記事については、「艦本式タービン」の概要を参照ください。

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