自走砲型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 10:19 UTC 版)
「M101 105mm榴弾砲」の記事における「自走砲型」の解説
M2A1榴弾砲をM3ハーフトラックの車体上に搭載したT19 HMC 105mm自走榴弾砲が1941年の終わり頃に開発され、1942年1月から4月にかけて324両が量産された。T19自走砲はあくまでも暫定的なものという位置づけで、引き続いて、M2A1榴弾砲をM3中戦車の車体上に搭載したM7 105mm自走榴弾砲が1942年4月より量産された。M7は3,489両が生産され、更に車体をM4A3中戦車のものに変更したM7B1 105mm自走榴弾砲が826両生産された。これらの自走砲は北アフリカ戦線、イタリア戦線、西部戦線で使用され、M7自走砲は戦後も朝鮮戦争や中東戦争などで実戦投入された。 詳細は「M3ハーフトラック」および「M7自走砲」を参照
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自走砲型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/05 18:14 UTC 版)
本砲も21cm Mrs 18同様、その大型大重量故に牽引砲としての運用に困難が多く、戦車車台を流用した自走砲化が構想され、1942年には陸軍兵器局よりティーガーIの車体を利用した自走砲として「ドイツ語: Gerät No 5-1702(17cm k43):機材番号 5-1702(17cm K43搭載型)」の名称で発注されたが、計画中止となった。 続いて、車体をティーガーIIのものを使用した大型自走砲として「Gerät 809:809号機材」の名称で改めて開発が進められ、これはティーガーIIの車体を流用した自走砲型の車台に、特に大きな変更点なく17cmカノン砲ほか各種の重砲を搭載して運用できるものとして開発され、「G.W. Tiger(Geshützwagen Tiger:ティーガー火砲運搬車」、または「Waffenträger Grille17:大型兵装運搬車 グリレ17」として開発計画が推進されたが、モックアップの他は試作車1両が製作されたのみに終わった。 本砲を戦車砲として改良したものが「17cm KwK44」の名称でE-100超重戦車の発展型の一つである駆逐戦車型に搭載される構想であったが、計画のみに終わっている。
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自走砲型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/04 17:45 UTC 版)
「KS-19 100mm高射砲」の記事における「自走砲型」の解説
キューバでは、KS-19をT-34/85の車体に搭載した自走対空砲が独自に開発され配備されている。 またシリアやレバノンを拠点に活動するヒズボラは、KS-19を2K12"クーブ" (SA-6"ゲインフル")、あるいは民生品の大型6輪トラックの車体に搭載した自走対空砲を運用している。
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自走砲型
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「21cm Mrs 18」の記事における「自走砲型」の解説
Mrs 18はその大重量故に牽引砲としての運用に困難が多く、戦車車台を流用した自走砲化計画が構想されたが、当初は本砲を搭載できるような車台がなく、1942年の末にようやくティーガーIの発展型としての直接火力支援車両(突撃砲)として計画がまとまった。しかし、設計上の困難や転用する砲の確保数の問題からこの構想は頓挫し、後に車体をティーガーIIのものを使用した大型自走砲、G.W. Tiger(ドイツ語: GeshützWagen Tiger:ティーガー火砲運搬車、またはWaffenträger Grille21:大型兵装運搬車 グリレ21とも)として、特に大きな変更点なく21cm臼砲ほか各種の重砲を搭載して運用できるものとして開発されたが、モックアップと試作車1両が製作されたのみに終わった。 これらのほかにも、21 cm Mrs 18を搭載した、もしくは車載化した発展型を搭載する重自走砲や重突撃砲が構想されていたが、いずれも計画もしくは構想のみに終わっている。
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自走砲型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 04:55 UTC 版)
クルップ社は、1942年12月に本列車砲の「自走砲型」として、総重量1,500tに達する巨大陸戦車両、Landkreuzer P.1500 Monster(陸上巡洋艦 P.1500 “モンスター”)の設計案をアドルフ・ヒトラーに提出している。 これは「巨大な戦車が必要である」というヒトラーの要望に応えたもので、開発計画も承認されたが、1943年には軍需大臣のアルベルト・シュペーアによって中止されている。 P.1500は、開発計画によれば、250mmの車体前面装甲を持つ1,500tの自重を複数の巨大な装軌式走行装置で支え、MAN社製の潜水艦用ディーゼルエンジン(2,200馬力)4基で駆動して15km/時で走行し、80cm主砲と副武装として2基の15cm sFH 18重榴弾砲、MG151 15mm機関砲多数を装備する、というものであったが、当時の技術水準やドイツ軍の運用能力、そして製造に要する戦争資源の使用量等を考えると明らかに過大な計画であり、実際に実現するものとして計画が進められていたかについては疑問も多い。 詳細は「P1500 モンスター」を参照
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