自然の保護と再生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 01:10 UTC 版)
かつては不毛な土地と看做され、開発が試みられた。太平洋戦争後、一部が農地、牧草地や住宅地に転用され、湿原の面積は1947年には2.5万haだったものが、1996年には1.9万haとなり約2割少なくなっている。1951年には当時の北海道開発庁が『釧路泥炭地開発計画』を策定した。牧草地を広げることなどを目的とした河川の直線化による土地の乾燥化(湿地の消失)は、1980年のラムサール条約登録後もしばらく続いた。 一方で、自然保護の取り組みも戦前に始まっており、1935年(昭和10年)8月27日に「釧路丹頂鶴繁殖地」として2700haが国の天然記念物に指定された。戦後の1952年(昭和27年)3月29日に「釧路のタンチョウ及びその繁殖地」として特別天然記念物に指定変更され、面積も2749haに拡大された。さらに1967年(昭和42年)6月22日に「タンチョウ」を地域を定めない種指定の特別天然記念物に指定変更するとともに、同年7月6日に新たに「釧路湿原」を天然記念物の天然保護区域に指定し、その範囲を5011.4haとした。 また、1958年(昭和33年)11月1日には、国指定釧路湿原鳥獣保護区(希少鳥獣生息地)に指定されている(面積1万1523ha、うち特別保護地区6962ha)。ただし哺乳類のうちエゾシカについては希少植物を食害したり、踏み荒らしたりしている面もあるため、環境省が頭数調査と試験捕獲を行っている。1980年にはラムサール条約登録地に、1987年に湿原周辺を含む約2万6861haが国立公園(釧路湿原国立公園)に指定されている。現在の釧路湿原一帯は釧路湿原国立公園の特別地域に指定されており、開発は厳しく規制されている。 植生保護や谷地眼への転落事故防止のため、湿原内に入る自動車が通行できる道はない、観光客は遊歩道を通るよう求められる。ゴミのポイ捨て、釣り糸・釣り針の遺棄とそれによる鳥類への被害も起きており、有志による「釧路湿原騎馬隊」が乗馬による自然保護パトロールやゴミ拾いなどを行っている。 かつては湿原を農地化する試みも行われていたが、自然保護機運に加えて観光資源としての重要性が高まり、湿原の開発よりも保全に目が向けられるようになってきた。環境庁(後の環境省)は国立公園指定に先立つ1983年に「釧路湿原保全対策検討会」を設置。現在、湿原内では国土交通省や環境省等により「釧路湿原自然再生プロジェクト」による自然再生事業が行われている。 主な事業として、湿原上流部に当たる茅沼地区において直線化された釧路川流路を再蛇行化させ自然環境の復元を図る事業や、達古武地域において森林、湿原、河川、湖沼と連続的につながる生態系の復元を図る事業は現在も行われている
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