自殺の研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 06:52 UTC 版)
自殺に関する文献は古くから数多く伝存しているが、19世紀中葉より西欧で当時増大をみせていた自殺に対して統計学的手法が適用された。 1879年にイタリアのモルセッリ著『自殺』では ゲルマン型(変種としてドイツ人、スカンディナヴィア人、アングロサクソン人、フラマン人を含む) ケルト-ローマ型(ベルギー人、フランス人、イタリア人、スペイン人) スラヴ型 ウラル-アルタイ型(ハンガリー人、フィンランド人、ロシアの若干の地方) といった人種的類型が設定され、性別や年齢、職業、信仰、居住特性、経済状況などの要因が自殺に影響していることが認められている。とはいえ、自殺を身体的、精神的病理の現れとする見方が支配的であった。 これに対してエミール・デュルケームは、1897年の『自殺論』において、モルセッリやワーグナーの研究成果を参照しながらも、精神病理や人種・遺伝、気候、模倣によっては自殺の現象が完全には説明できないことを統計的に明らかにし、「それぞれの社会は、ある一定数の自殺をひきおこす傾向をそなえている」として、社会ないし集団の条件と結びついて生じる自殺傾向を社会学の研究対象として位置づけた。つまり、一定範囲内の自殺の発生は「正常な」社会現象だというのである。デュルケームは、近代社会における(社会的紐帯の弱化による)「自己本位的自殺」、(欲望の際限なき拡大がもたらす苦痛による)「アノミー的自殺」の2タイプを定式化するとともに、伝統的社会における「集団本位的自殺」、極限状況における「宿命的自殺」を析出し、計4類型を設定した。 フロイトは長らく人間の心理の底にある生命衝動としては「生の欲動(リビドーまたはエロス)」によって快を受け苦痛を避ける快感原則で説明しようとしたが、晩年近くになりPTSDで苦痛なはずの体験を反復強迫している症例などから、それでは説明できない破壊衝動を見出し、後にそれを「死の欲動(デストルドーまたはタナトス)」と名付け、生を「生の欲動」と「死の欲動」との闘争、さらには愛憎混じった感情の転移であるなどの思索をした。これらの考えに批判も多いが、自殺者の心理剖検に対し一定の貢献があったと臨床の現場では受け止められることもある。 1960年代から1970年代にかけ、アメリカ合衆国のエドウィン・シュナイドマン、臨床心理学、精神分析、社会学の仲間たちと、本格的な自殺の臨床研究を重ね、1968年アメリカ自殺学会を設立。アメリカ国立衛生研究所(NIH)でベセスダ自殺予防センター所長を勤めた。
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