能舞台の構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 02:24 UTC 版)
1:鏡の間 シテの控え所。ここで装束をつけ、面をかけるために、専用の鏡(姿見)がある。また演能の前後に諸役と挨拶をかわし、上演の前には囃子のお調べが奏される。 2:橋懸 橋掛とも。歌舞伎の花道と同じように演技の場として重視される。舞台に対してだいたい110度前後の角度で取りつけられ、正面の客から見やすくなっている。 3:舞台(本舞台)常寸京間三間四方(=ほぼ6m四方)。後方から正面に向けて縦に板を渡す。材は檜が多い。足拍子の響きをよくするために要所に甕を生けている。滑りをよくするためにおからや米ぬかで乾拭きをしてつやを出す。舞台に上る際にはどんな場合にも白足袋を履くことを求められる。 4-7:目付柱(角)、シテ柱、笛柱、脇柱(大臣柱) 面をつけると視野が非常に制限されるので、舞台上ではこれらの柱を目印(目付)にして舞う。従って柱は演能上必須の舞台機構であり省略することができない。また『道成寺』の鐘を吊るために、天井に滑車が、笛柱に金属製の環がとりつけられている。 8:地謡座 能の際、地謡が二列になって坐る位置。舞台と同じく板を縦に敷く。地謡座の奥には貴人口と呼ばれる扉がついているが、現在ではまったく使われない。地謡座の後方に地裏と呼ばれる客席があったが、今では用地の関係で作られない能楽堂が増えている。 9:後座/横板 舞台とは違って板を横に渡しているところからこの名がある。囃子方が向かって右から笛、小鼓、大鼓、太鼓の順で坐るために、おのおのの部分を笛座、小鼓座といったりもする。能の場合、小鼓と大鼓は床几を用いる。 10:後見座 後見が坐るためにこの呼名がある。後見が通るために、横板は後半分をあけて囃子方が坐ることになっている。 11:狂言座 アイがここで中入りまで着座しているためにこの呼名がある。 12:階 三段の階段。現在では実用されていないが、江戸時代の正式の演能の際には、開演前に大目付がここから舞台上にのぼり、幕に向かって開演を告げた。今ではもっぱら舞台からシテが落ちたときに用いられている。 13:白洲 現在では簡略化されているが、能舞台が戸外にあった時代には客席と舞台との間に玉砂利を敷き詰めていた。(海)水を象徴する。 14-16:一の松、二の松、三の松 橋掛での演技の際の目印にする。橋掛の向こう側にも二本の松が植えられている。現在では照明の加減で造木であることが多い。 17:楽屋 18:幕口 五色の布を縫いあわせた揚幕がある。左右の幕番が竹を利用して幕をあげて(これを本幕という)、シテやワキが出入りし、曲趣に応じて幕のあげかたにも違いがもうけられている。囃子方や後見などが舞台に出入りする際には幕を上げずに、片側をめくって人を通す。これを片幕という。 19:切戸口 能の際の地謡や、能以外の上演形式の際に出入りする人が利用する小さな出入り口。舞台で切られた役がここから退場するので臆病口ともいう。後見やアイは揚幕から出入りするのが本来の形だが、現在では切戸口を使うことが普通である。切戸口のある面の板には竹が描かれている。 20:鏡板 大きな松の絵が描かれる。春日大社の影向の松がモデルであるとされる。神の依り代としての象徴的意味のほかに、囃子の音を共鳴させる反響板としての役割も果たしている。 21:貴人口(地謡座参照)
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