能蔵池の椀貸し伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/22 02:11 UTC 版)
「八田村 (山梨県)」の記事における「能蔵池の椀貸し伝説」の解説
野牛島には能蔵池があり、池の主である赤牛に関する「椀貸し伝説」が伝わっている。能蔵池は曹洞宗寺院である桃岳寺の裏に所在し、面積は約70アールとされる。現在はコンクリートによる護岸が施されている。 池の東には鎮守である稲荷神社が鎮座し、池の西には蔵王権現、中島には弁天が祀られている。池の西側には角塔婆が存在する。石英角閃石安山岩製。高さは99.5センチメートル・幅15センチメートル。六角錐形で、頂部は尖状山型で、身部上部には二条の切れ込みが施されており、朱塗りの円形が見られる。年代は不詳。三文字分の墨書も見られるが、判読されていない。 江戸後期の『甲斐国志』にも能蔵池が記載される。 椀貸し伝説は全国的に分布しているが、北見俊夫は1954年(昭和29年)時点で全国的な150例を報告し、山梨県は長野県の43例、愛知県の24例に次ぐ14例を報告している(後に自治体史による報告で3例が追加される)。山梨県の椀貸し伝承は主に釜無川流域に分布しており、借り主・貸し主にバリエーションが見られるものの、特定の場所において膳部の拝借を願うと翌日に必要な数が用意されているが、不心得者が椀を返さなかったために中断するという類型的な事例が見られる。 能蔵池の椀貸し伝説は、貸し主が池の主である赤牛で、雨乞いをした際には雨を降らせ、困った際には願い事を叶える存在であり、人寄せの際には膳椀を貸していたという。ところが、不心得者が椀を返さず、汚物を洗うなどしたため、怒った赤牛が池を去り甘利山の椹池(さわらいけ)に移ったとする内容になっている。
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