能舞台の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 02:24 UTC 版)
以前は能舞台は神社等に作られ、舞台の屋根が青天井に晒されていた。そのため、照明は日光と白洲からの反射光によっていた。 変わった設置場所としては、江戸時代に徳川将軍が各藩邸に御成りをする際、能でもてなすことが一般化されたことから、大藩の江戸屋敷には庭園を挟んで能舞台が設置されていることがあった。 明治以降、能舞台と見所(けんじょ・客席のこと)の全体を建物でくるむ形式が増え、これを「能楽堂」と呼ぶ。この場合、屋根の上に能楽堂の天井がある形式になる。 一方で、戦後「薪能」(本来の薪能は日中から演能を始め、夕暮れまで演じる形式だった)と称して夜間の野外能が盛んになり、この場合仮設の能舞台も用いられる。舞台の床と寸法が適当で、四方に柱があり、橋懸を用意できれば、能はいかなる場所でも演じられる。
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