継承と批判とは? わかりやすく解説

継承と批判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 23:23 UTC 版)

志向性」の記事における「継承と批判」の解説

志向性に関する言明大きな問題点は、使用者が、作用欲望といった概念を示すためにこの用語を使用するか否か、つまり、目的論にかかわるか否か明示し損ねてしまうということにある。ダニエル・デネットはその著書志向姿勢』において明示的に目的論的諸概念援用している。しかしながら大多数哲学者志向性という用語を目的論的な意味と関係のないものとして用いている。すなわち、ある椅子観念はなんら志向性含意ない、あるいは、その椅子に関するひとつの信念すらない一脚椅子についてのものありうる言語哲学者にとって志向性は、主として象徴がいかに意味を持つのかという問題である。しかし、アングロサクソン系言語学において主流である言語普遍論の立場であればそういう判断になるものの、大陸系の言語学において言語相対論があり、そこでは同じ一つ言語(という象徴とともに主体志向するものは、主体ごとに揺れていて多様である。それならばコミュニケーション不能となるはずのところだが、それでも相手との言語コミュニケーション成立したようにそれぞれの主体基本的に感じて、先へ進むことが可能だというのは、共有されている発話場-ーとふつう簡略表現されるが、発話者―受話者共有場のことーー情報というものが助けるからである。この明快性の欠如は以下に示され見解諸相違のうちのいくつかを示すものであるかもしれない。 さらに進んで志向性という概念から引き出され所感多様性裏付けるため、フッサールブレンターノ追究し大陸哲学分析哲学両方において志向性により広範な注意払ったブレンターノ意見とは対照的にサルトルは「存在と無」において志向性意識区別できない述べ両者同一視したマルティン・ハイデッガーは「存在と時間」において志向性を「気遣い(独: Sorge)」、つまり、単なる存在者であるところの物とは対照的にその内個人実存事実性、そして喪失存在論的意味を確認するような可感的状態であると定義した一方ギルバート・ライルアルフレッド・エイヤーといった分析哲学者たちはフッサール志向性概念彼の主張する意識重層に対して批判的で、ライル認識過程ではないと主張し、エイヤーは誰か知識記述することは心的過程記述することとは違うと主張した。こういった見解結果として意識は完全に志向的であるから精神的活動その内容をすべて失い、純粋意識何者でもなくなる(サルトル意識を無と呼んだ)。 プラトン主義者のロデリック・チザムは、ブレンターノ考えを、言語的分析を行うことによって、つまり、ブレンターノ構想含まれる存在論的面と心理学的面の二つ区別することによって復興させた。チザムはその著作において志向性適切な基準不適切基準集約し続けてきて、ブレンターノ構想二つの面によって確認され心的現象述べ言語と非心的現象述べ言語とを区別する論理的特性によって定義される志向性基準到達した近年人工知能心の哲学において、志向性論争の的となっている主題であり、機械には決し成し遂げられないものだと主張されている。ジョン・サールもこの見解賛成立場をとりながら中国語の部屋思考実験について議論していて、それによると、コンピュータ内で起こる統語作用意味的内容を生み出さないという。

※この「継承と批判」の解説は、「志向性」の解説の一部です。
「継承と批判」を含む「志向性」の記事については、「志向性」の概要を参照ください。

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