継承された「丹後の藤織り」とは? わかりやすく解説

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継承された「丹後の藤織り」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 10:46 UTC 版)

藤織り」の記事における「継承された「丹後の藤織り」」の解説

一度途絶えることなく人から人へと伝えられ藤織りは、京都府北部丹後半島山間部である宮津市上世屋地区藤織りのみとされる標高350メートル超える山間部の上世屋では綿はまった収穫できず、古来からの藤布生産続けられた。宮津市の上世屋(かみせや)、下世屋(しもせや)、駒倉、京丹後市弥栄町味土野では、藤布ヌノ(布)の訛りで「ノノ(布)」と称し麻布を「オオノ」、木綿の「モメン」と称して明確に区別した。布といえば藤布をさすものであり、保温性の低いこの衣服を冬は重ね着したことから、冬の寒さ度合いを「今年は何寒さ」と表現する風習があった。 これらの地域では近年まで藤織りが行われており、上世屋では「ノノ織れんと嫁にもいかれんじゃった」と言われたほど、女性は必ず習得すべき技術とされ、貴重な現金収入の手段でもあった。1965年昭和40年)頃、下世屋では1人だけが藤織り行い年2~3反を生産していただけであったのに対し上世屋にはまだ十数人の織り手がいて、1020反を織りあげていた人もいた。 しかし、1986年昭和61年)に佛教大学高見義和著した論文によれば当時藤織りを生活の糧として行っていたのは老婆ただ1人で、京都問屋出荷する茶室座布団用に織られていた。この調査論文発表よりも数年遡るとみられ、土田耕三が執筆した月刊染織α」のレポートによれば、「以前座布団用に(幅1尺2寸で)織られていたが、昭和60年以後は幅8寸3分で統一されている」と述べられている。この上世屋地区老婆2人によって伝承され技術が、今日の「藤織り」である。 現代藤織りは、生活の糧として伝承されてきたかつての藤織り本質的な違いはあるが、その技術は、保存伝承試み人々によって継承されている。 「丹後の藤布紡織習俗」の名称で、1983年昭和58年)、国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財選択無形民俗文化財)に選択。「丹後藤織り」として、1991年平成3年京都府無形民俗文化財指定2001年平成13年京都府伝統工芸品指定。このほか、京都府立丹後郷土資料館保管の「丹後紡織用具及び製品782点が2010年平成22年)国の重要有形民俗文化財指定されている。

※この「継承された「丹後の藤織り」」の解説は、「藤織り」の解説の一部です。
「継承された「丹後の藤織り」」を含む「藤織り」の記事については、「藤織り」の概要を参照ください。

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