継承と正統
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 00:59 UTC 版)
武田惣角の大東流合気柔術を継承する会派(団体)や大東流系の武術教室は全国に多数ある。柔道における講道館、合気道における合気会のような広く認められる中心的な組織はない。一方で、武田惣角や武田時宗から教授代理、免許皆伝等の免許を受けたとして正当性を主張する会派も少なくない。さらに武田時宗から免許皆伝と宗家代理を受けたと称する近藤勝之が「大東流」「大東流合気武道」「大東流合気柔術」の3語を商標登録した件につき、「大東流」の独占に繋がるとして否定的な意見、無関係な団体が勝手に大東流を名乗ったり大東流を商業利用することを防止するのに役立つとした肯定的な意見などが入り乱れている。(この件については武田時宗の遺族が商標登録の願い出を取り下げたにもかかわらず、近藤勝之が独自に商標登録を行ったために批判的な意見も多い) こうした混乱の原因としては、以下のような要因が考えられる。 武田惣角は武田時宗の「大東流の総伝を佐川さんに譲ってほしい。(戦争から)帰って来たら佐川さんより習うから。」という要望に応じて正統総伝印可の免状を授与したが、佐川幸義は生前にその免状を一般に公開せず金庫に保管し道場に2段階下の免状を飾っていたため、免許皆伝ですらない教授代理なのに後継者を勝手に名乗っているかのような誤解を招いた。 武田惣角が多数の教授代理免許を出しそれぞれの教授代理が各々独自に会派や道場を開き指導活動を行ったこと。 武田惣角は特定の定まったカリキュラムに沿って大東流を教授しなかったこと。(厳密なカリキュラムはなくとも、ある程度の骨格はあったとの説もある) 弟子は武田惣角の演武を見たり、武田惣角に技を掛けてもらって、技を盗れる者は自分で技を学び取る…という古典的な教授法だったために、弟子によって習得した技や解釈、得意な技術に違いが生じたこと。 武田惣角没後、網走市において大東流の指導を行った子息の武田時宗が大東流合気柔術と大東流合気武道の呼称を使い分けたこと。 武田惣角が特定のカリキュラムに沿って大東流を教授しなかったこと、相手やその時々で教授法や技の名前が異なったことについては、以下のような説がある。 大東流非古流説…大東流は武田惣角が実質的創始者であり、武田惣角の存命中の大東流は大まかな体系は存在したものの未だ発展過程にあった。したがって系統だった明確な教授段階もなく、武田惣角の年齢とともに教授法や技術内容も変遷していった。つまり、武田惣角が教えていた技は流派として先代から継承した技というよりも、その時々で武田惣角が創意工夫、思いつきで教えていた技である可能性が高い。 大東流古流説…多人数の弟子の一括指導と異なり、1人1人の弟子への個別指導(個人教授が前提と言うわけではなく複数名へのグループレッスンの場合も多々あった)であったため、それぞれの弟子の体格や体力、性格によって教える技や解釈に違いが出てくるのは当然。また、同じ技であっても内弟子と外弟子によって教え方(特に技の核心となる心の置き方や技の意味)が違うというのは他の古流流派や中国武術の門派でもよく見られることであり、武田惣角もそのように弟子の立場や弟子への信頼度によって技の教え方を変えた。(武田時宗門人の近藤勝之の発言によると武田時宗も同様に同じ技でも内弟子と外弟子で教授法を変えたという) のちに大東流非古流説に賛同する意見が多くなり、大東流は、武田惣角が学んだいくつかの伝統武術の流派の技術をベースに武田惣角が創造した流派であり、古流ではないという説が有力になっている。他の古流の伝統流派からも、大東流は古流の中でも特異な武術流派、あるいは非古流と見られることが多い。
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