統営郡とは? わかりやすく解説

統営郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 03:18 UTC 版)

統営市」の記事における「統営郡」の解説

1900年5月16日 - 固城郡統制営址全域および道善面・光二面・光三面巨済郡加佐島、閑山島をもって南郡設置1909年 - 鎮南郡龍南郡に改称1914年4月1日 - 郡面併合により、巨済郡および龍南郡の大部分(光二面光南面を除く)を統営郡として編成。統営郡に以下の面が成立。(15面)統営面・山陽面・道山面・光道面・遠面・閑山面長木面・二運面・屯徳面・巨済面・沙等面・一運面・東部面・河清面・延朝鮮総督府令111号 朝鮮総督府令111号行政区域行政区域龍南郡春元面、加佐面、西面一部東面 統営龍南郡山陽面、西面一部 山陽龍南郡道善面、山内道善龍南郡道南面、光三面道面 龍南面、遠三面龍南郡閑山面 (変動無し) 巨済郡屯徳面、沙等面、一運面、東部面、河清面、延巨済郡西部巨済巨済郡長木面、外浦面の一部 長木巨済郡二運面、外浦面の一部 二運面 1917年 - 統営面の一部龍南面として分離。(16面) 1929年4月1日 - 龍南面の一部が沙等面に編入。(16面) 1931年4月1日 - 統営面が統営邑に昇格。(1邑15面) 1938年10月1日 - 二運面が長承浦邑に昇格。(2邑14面) 1939年4月1日 - 山陽面美修里・里・道南里・堂洞里・仁里・坪里が統営邑に編入。(2邑14面) 1953年1月1日 - 長承浦邑・長木面・屯徳面・巨済面・沙等面・一運面・東部面・河清面・延をもって巨済郡復活。これにより統営郡の領域縮小。(1邑6面1955年7月1日 - 遠面を欲知面・面に分割。(1邑7面9月1日 - 統営邑が忠武市昇格分離。(7面1973年7月1日7面龍南田里が忠武市編入南海郡二東面の一部葛島)が欲知面に編入1995年1月1日 - 統営郡が忠武市合併し統営市発足。統営郡消滅

※この「統営郡」の解説は、「統営市」の解説の一部です。
「統営郡」を含む「統営市」の記事については、「統営市」の概要を参照ください。

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