精神的行為
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 13:56 UTC 版)
「情緒的近親姦」、「インセスチュエル」、および「親子入浴」も参照 たとえ実際に明らかな近親姦もしくは近親姦的行為がなくても、親子間において似たような破壊的力動が起こることもあると主張する研究者がいる。それは情緒的近親姦(じょうちょてききんしんかん、Emotional Incest)と言われる概念である。単に娘が父親と高校三年生まで一緒に入浴していたというだけでも、セクシュアル・アビュースと同様の影響が娘に見られた場合もあると速水由紀子は論ずる。子供との関係が養育から近親姦的な愛への境界線を越えるのは、それが子供の欲求を満たすためではなく、親の欲求を満たすためのものになった時であるというが、このような場合は親は意識レベルでは子供を性的に裏切っていることに気づかない場合も多い。この概念を用いる際は、近親姦は「明白な近親姦」と言われる。 しかし、近親者による視姦などのセクハラ行為は一般的にも問題視されうるが、こういったことを一般的に言われる近親姦と同様の扱いとすることに対しては批判も強い。秋山さと子は息子を恋人の様に扱う母親と多く話をしてきたというが、実際の近親相姦の事例は見たことがないと述べる。スティーブン・レベンクロンには、自傷行為をする14歳の女性が、自分の母親が12歳の弟と一緒に入浴しているため、そのことで母親が刑務所に収監されるのではないかと不安に思っていたため、そんなことはないとその姉に回答した経験があるという。岡田尊司は父親不在の家庭での母親と子供の密着を形容して、母親と子供が精神的に近親相姦関係にあることが普通になったのだと語っている。 息子に対して誘惑的な行動をとる母親の存在はよく指摘されてはいるものの、父親によるものと違い母親による誘惑行為が近親姦的な意図による虐待行為とみなされることは少ない。精神分析家の多くはかつては母親との情緒的癒着によってゲイになるのだろうと言っていたが、現在はゲイだから母親に誘惑されたという解釈も出てきている。この解釈ではゲイの場合母親が子供から得られると思っていたロマンティックな感じが得られないため、無理矢理に母親が誘惑するのであるという。 日本ではマザコンの男性に対する注目が高いとする斎藤学は、野口英世とその母である野口シカの姿を描いた映画『遠き落日』が1992年度の興行成績で『紅の豚』を打ち負かし首位に立ったことについて、日本では情緒的近親姦の幻想が蔓延していることの表れとしている。ただ、マザコンやファザコンという言葉は侮蔑的な意味合いで用いられることが多く、日本で異性の親子関係が破綻しやすいことと関連があるのではないかと日垣隆は論じている。岡田尊司はマザコンの夫というと妻にとっては夫の母親が夫の「先妻」として存在しているようなものなので不満が出てしまうと述べている。斎藤学は日本のような母親と息子の情緒的近親姦の土壌のある社会の下で嫁が姑に勝とうとすると、嫁は母親以上の母性を備える必要があり、結果として異性関係を阻害する事態になるとしている。 リチャード・ガートナーは、LSD、メスカリンやコカインなどの薬物に依存することで誘惑的な母親との関係に溺れていた男性が薬物を止めるには、母親との関係を続けることを諦めるしかなかった事例もあったという話をしている。 2013年5月23日の『朝日新聞』に、恋人だと感じていた中学1年生の息子に気持ち悪がられて辛いという母親の話が乗せられ話題となったが、香山リカは息子の反応は当然としつつも、母親達の間にこれほど共感が広まるとは正直思わなかったとしている。 岡田尊司は、シスターコンプレックスやブラザーコンプレックスの説明として、きょうだいの存在はその人の中で大きな支配力を持つが、相手が異性のきょうだいとなると、性的な憧憬とも重なって理想化された心象となり、その人の人生を親以上の力で縛る場合があるとした上で、男性の場合には姉も妹も永遠のアイドルとして強い支配力を持つことがある一方、司馬遼太郎原作のテレビドラマ『坂の上の雲』でも取り上げられた正岡子規と妹正岡律の関係を引き合いに出し、女性の場合には圧倒的に兄の存在感が大きいと分析した。 本田透は、『シスター・プリンセス』に描かれるような兄と妹の関係は、仮に現実に存在したらシスターコンプレックスやブラザーコンプレックスと言われるのであろうが、これは家族の崩壊とともにかつての理想的な家族像がそのような形でしか把握できなくなっただけではないかと主張した。
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