築館線
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路線距離(営業キロ):12.56km 軌間:762mm 駅数:6駅(起終点駅含む) 複線区間:なし(全線単線) 電化区間:なし(全線非電化) 1923年(大正12年)、築館線の開通や栗原軌道の開業に影響された一迫町の有志による、築館線延長計画が持ち上がった。仙北鉄道は築館駅から花山村に至る路線延長を決定し、1924年(大正13年)6月7日に鉄道敷設認可を総理大臣に申請した。計画では築館 - 一迫町(真坂) - 川口 - 花山というルートだった。登米線志津川延長と同じく1925年(大正14年)3月に申請は不許可となり、路線延長計画は断念した。その後、路線権は地元有志に譲渡され「迫鉄道」として会社設立までしたが、結局建設には至らず、会社解散となり路線延長は完全に消え去った。 途中の新生園前 - 太沢間にあった葉ノ木山隧道 (.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度40分55秒 東経141度3分31秒 / 北緯38.68194度 東経141.05861度 / 38.68194; 141.05861) は、日本の軽便鉄道では珍しく長いトンネルで、レンガ造りで全長は243mに達した。難工事であったという。このトンネルは2012年現在でも遺構として残存しているが、一部が崩落し、内部の路盤も水没している。 廃止後は路盤の多くが所々に離合所を設けた幅4mの専用道路となり、バスやトラック(定期運行)が運行されていた。瀬峰駅ではプラットホームや腕木式信号機もそのまま使用されており、バスの出入り口がホームと反対になった場合には乗客は一旦地面に降りてからホームへ登った。築館駅でも駅本屋が残されて出改札・待合所として使用されていたほか、初期には葉ノ木山隧道にもバスが通っていた。なお、現在までにすべて自治体に移管されたり消滅したりしている。 鉄道廃止後の代替輸送は仙北鉄道バスに始まり、宮城バス、宮城交通を経て、宮交栗原バスの玉沢線として、その後の会社の系譜に沿って運行されてきたが、2006年9月30日に赤字路線整理のために廃止された。廃止後は栗原市民バス(グリーン観光バス委託)に引き継がれ、鉄道開業以降続いてきた宮城交通関連会社から完全に離れることになった。
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築館線
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1946年頃 瀬峰 - 藤里 - 新生園前 - 太沢 - 玉荻 - 築館 藤里駅跡には仙北鉄道藤里停留所跡の碑がある(他にも築館線跡の碑がある)。 太沢には貨物側線や線路班の施設があり、バス専用道となった後も道路保守の基地とされていたほか、ホーム、駅舎も残り待合室もそのまま使用されていた。廃線後に駅本屋や線路班詰所が民家に転用された。 築館駅跡は、ミヤコーバス築館営業所となった。
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