第91回箱根駅伝・総合初優勝~第94回箱根駅伝・総合4連覇達成
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2015年1月の第91回箱根駅伝では、往路・復路共に首位でゴールインし、青山学院大として念願だった史上初めての箱根駅伝・総合優勝へついに導いた。2015年10月に第27回出雲駅伝で3年ぶり2回目の優勝も、同年11月は第47回全日本大学駅伝では、優勝した東洋大学とは1分2秒差の2位に終わる。 2016年1月の第92回箱根駅伝では、2年連続して完全優勝に導いた。同年2月、原は箱根駅伝優勝メンバーと共に首相官邸へ出向き、安倍晋三・内閣総理大臣より表敬を受けている。 2016年2月のリオデジャネイロ五輪・男子マラソン選考会を兼ねた東京マラソン2016では、日本有力選手が相次いで優勝争いから脱落する中、当時・青学大2年生の下田裕太が10代マラソン日本記録を更新する2時間11分34秒で総合10位(日本人2着)、青学3年生の一色恭志も11秒遅れの2時間11分45秒で総合11位(日本人3着)と二人共に大健闘。ゴール後の原は「特に下田はリオ五輪・男子マラソン日本代表の有力候補ですよ。彼の伸び代と将来性は計り知れない。4年後の2020年東京五輪を見据えて下田をリオ五輪に必ず選出すべきだ」と監督自ら猛烈にアピール。然し、下田・一色揃ってリオ五輪男子マラソン日本代表は結局落選した事に関し、原は日本陸連の強化委員会に対し「信頼が置けない」と憤慨するコメントを述べている。2016年10月、第28回出雲駅伝で2年連続3回目の優勝を皮切りに、同年11月の第48回全日本大学駅伝でも同大会初優勝。 2017年1月の第93回箱根駅伝で完全優勝による3連覇と、青学大としても歴代初の「大学駅伝三冠」を達成する。さらに同年3月には、サプライズ・特別ゲストとして東京都内の自民党大会に出席、昨年2月に引き続き安倍首相と対面し笑顔で握手を交わしていた。2017年4月、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科・トップスポーツマネジメントコース(修士課程1年制)に入学。だが2017年10月の第29回出雲駅伝は2位、同年11月の第49回全日本大学駅伝も3位に終わり、2年連続の大学駅伝3冠は成らなかった。 2018年1月の第94回箱根駅伝では往路でも東洋大に先を越され、36秒差で往路2位と4年連続での箱根駅伝・往路優勝を逃す。それでも、復路6区で東洋大を逆転して以降は完全独走となり、結果日本大学(1935年 - 1938年)・順天堂大学(1986年 - 1989年)・駒澤大学(2002年 - 2005年)と並び、史上4校目の箱根駅伝・総合4連覇を達成した。優勝会見の席で原は「いやあ、こんなに学生達は強かったですかね?(笑)」と吃驚しながらも、勝因の理由を「『必勝メカニズムの開発』と『真の自主性』だと思う。私が他の仕事で一々いなくても、選手達自らでしっかり纏めるチームが出来た」と胸を張った。その一方で、「俺が居ないと練習をやらないの? 走れない要因を俺に責任転嫁しているのか??」と、一時期監督と選手対立のチーム崩壊危機だったエピソードを明かしつつ、「他大学の悪口を言うつもりは無いが、『自主性』と言いながら指導放棄している人が多い」とも語っている。それから約1か月後の同年1月28日、青学大・相模原キャンパス付近の商店街で、4回目の箱根駅伝優勝パレードを開催時での原は「メディアに沢山出る事を色々言う人がいたが、やはり露出は間違いなかった」と終始笑顔で自画自賛している。 2018年3月、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科卒業。2018年10月の第30回出雲駅伝で2年ぶり4回目、及び同年11月の第50回全日本大学駅伝でも2年振り2回目の優勝をそれぞれ達成。
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