第46装甲軍団とは? わかりやすく解説

第46装甲軍団 (第2軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 21:34 UTC 版)

ユーゴスラビア侵攻」の記事における「第46装甲軍団 (第2軍)」の解説

ドイツ空軍4月6日攻撃開始したとき、ドイツ第2軍は丁度ユーゴスラビア北方国境戦力集結させている最中であり、予定されていた作戦の開始4月10日へと遅らされた。彼らの作戦開始時期の遅れを取り戻すための努力1つとして、いくつかの第2軍部隊国境沿いに目的限定した攻撃開始することによって作戦開始まで一時的な時間利用した部隊指揮官は彼らの部隊大きな戦闘早まって起こさないために制御せねばならなかった。そしてそのことその後軍隊行動の自由を損なわせ、作戦指揮危うくさせたかもしれなかった。 陸軍総司令部は第46装甲軍団が受け持つ地域主要な橋無傷のまま確保することを決意していた。したがって、既に4月1日という早い時期には、部隊はBaresのコプリヴニツァKoprivnica)の10マイル北方にある鉄道橋確保し占領するようにとの命令受けていた。 4月6日夕方頃までには、敵軍抵抗の不足と全体状況ユーゴスラビア国境沿いに置いて断固とした姿勢とらないであろうということ示しており、第46装甲軍団はムルスコ・スレディシュチェ(Mursko Središče)、レテニャ(Letenya)、ザーカーニ(Zákány)、バーチ(Barcs)においてムール川ドラーヴァ川全域橋頭堡確保するようにとの命令受けたいくつかの局地的な攻撃実行は、敵軍兵士達の間で不和生み出すのには十分なものであった。この地域防衛受け持っていたユーゴスラビア第4軍部隊兵士は、クロアチア人割合高かったクロアチア人兵士ドラヴァ突出部のいくつかの地点反乱起こし、彼らがセルビア人抑圧からの解放者見なしドイツ軍への抵抗拒絶した4月10日の朝、強力なドイツ軍がBaresのドラヴァ渡り以前確立した橋頭堡から抜け出したとき、対峙するユーゴスラビア軍の崩壊はより深刻な段階へと向かっていた。強力な航空支援援護され、第8装甲師団とそれに続く第16自動車化歩兵師団主力とする第46装甲軍団は首都ベオグラード目指し攻撃ドラヴァサヴァ川の間にかけての南東部仕掛けた。 第8装甲師団は、ほとんど抵抗らしい抵抗受けないまま快調に進撃し悪天候舗装不十分な道路にもかかわらず同日の夜10時までには師団先鋒がSlatingに到着した。敵の孤立した軍団速やかに掃討され、師団オシエク通って首都へと進撃続けたが、道の状態は更に悪くなっていた。 敵がますます苦境に陥り、必死になっていたことはドゥシャン・シモヴィッチ(Dušan Simović)大将彼の率い部隊放送した次の演説からも窺い知ることができる。 "全ての兵士は、たとえ何処で敵と遭遇しようとも、自らの裁量の上いかなる手段用いても敵と交戦せねばならない。上からの直接命令を待つのではなく諸君が自らの判断イニシアティブ分別導かれて行動しなければならない。" 4月11日には、第16自動車化歩兵師団クロアチアのナシツェ(Našice)を越えて更に進んでいるとき、第8装甲師団オシエク到着した。両師団与えられ任務は第14装甲軍団対峙しているユーゴスラビア軍側面突き、また早期第1装甲集団との連絡確立することであったが、多数破壊されと状態の悪い道路両方師団進撃速度遅らせた4月12日午前2時30分、サヴァ川にかかる2つ極めて重要な無傷確保された後、第8装甲師団Mitrovica突入した師団攻撃続けベオグラードから約20マイル南のラザレヴァツ(Lazarevac)へと進撃した。そこは第1装甲集団との連絡地点として指定された場所であった4月12日午後に第46装甲軍団は新たな命令受けた。この命令によると、第8装甲師団だけがベオグラードの西の郊外に近いサヴァ川の安全を確保するために東方への攻撃続けることになっていた。18時30分に、師団主力南東へと向かいベオグラード南西第1装甲集団左側面部連絡確立するためヴァリェヴォValjevo方面進出した同時に、第8装甲師団後れを取っていた第16自動車化師団南へ向き変えサヴァ川渡ってズヴォルニクZvornik)へ進出したこのように、両師団は後のサラエヴォへの攻撃参加するため、元々の目的であったベオグラードからは転進させられた。 一方で第2軍陸軍総司令部ベオグラード陥落ニュース心待ちにしていた。3つの集中している機甲部隊のうち、第XLI装甲軍団首都最も近い最終的に報じられており、首都から約10マイルドナウ川東岸パンチェヴォPančevo)に到着していた。ベオグラードの南での抵抗第一装甲集団先鋒である第11装甲師団首都近郊進出してきたため、強固になっていた。

※この「第46装甲軍団 (第2軍)」の解説は、「ユーゴスラビア侵攻」の解説の一部です。
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