ユーゴスラビア軍の崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 10:17 UTC 版)
「ギリシャの戦い」の記事における「ユーゴスラビア軍の崩壊」の解説
詳細は「ユーゴスラビア侵攻」を参照 4月6日夜明け、ドイツ空軍がベオグラードへの爆撃を開始、ドイツ軍は侵攻を開始した。第XL装甲軍団は午前5時半、攻撃を開始、ユーゴスラビアを南部を横断すべく、ブルガリアから二手に分かれて侵攻した。4月28日夕方までにSS連隊LSSAHはプリレプを占領した。こうして、ベオグラード、テッサロニキ間の重要なルートは切断され、ユーゴスラビアは孤立しつつあり、ドイツ軍はその時点で攻撃に有利な地点を占拠していた。4月9日夕方、フロリナでギリシア国境を突破した第XL装甲軍団は攻撃を拡大するためにモナスティールの北へ展開した。この位置を確保することにより、フロリナ、エデッサ、カテリニでWフォース(イギリス連邦軍)、アルバニア内のギリシャ軍は包囲される可能性が生じた。ユーゴスラビア中部からのこの不意の攻撃が両軍の後部へ回ろうとしている間、第9装甲師団の主力はアルバニア国境でイタリア軍と接触を図るために西へ進んだ。 第XVIII山岳軍団所属の第2装甲師団は4月6日早朝、東からユーゴスラビアに侵入、ストルマ川を通過して西へ進んだ。ほとんど敵の抵抗はなく、ただ障害物、地雷の除去、道がぬかるんでいたということで遅れを見せたが、師団はその日、ストルミツァを占領、目的を達した。4月7日、師団北側へのユーゴスラビア軍の反撃は撃退され、翌日、師団はドイラン湖付近に布陣していたギリシャ第19自動車化歩兵師団を撃破した。師団は幅の狭い山道に進撃の遅れを見せたが、4月9日早朝、テッサロニキへの進撃に成功、テッサロニキは戦闘無しで制圧され、それはギリシャ第2軍の崩壊につながった。
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