ユーゴスラビア維持の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 10:08 UTC 版)
「クロアチア紛争」の記事における「ユーゴスラビア維持の動き」の解説
1990年10月には、クロアチアと、経済主権を掲げてユーゴスラビアからの独立を図ろうとするスロベニアによって、新連邦案「国家連合のモデル」が発表された。連邦制度を廃止し、欧州共同体(当時)のような国家連合に転換するべきであるとした。一方でセルビアはあくまでも連邦の維持に固執し、ボスニア・ヘルツェゴビナとマケドニアにより折衷案が提出されたが、同意に至らなかった。
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