ユーゴスラビア軍の損害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 04:49 UTC 版)
「コソボ紛争」の記事における「ユーゴスラビア軍の損害」の解説
NATOは公式にユーゴスラビア軍の損害の推計を出してはいない。ユーゴスラビア当局は、NATOの空爆によって、169人の兵士が死亡し、299人が負傷したとしている。ユーゴスラビア軍の死者の名前は『記憶の書』に記録されている。 ユーゴスラビア軍の装備に対して、NATOは50機のユーゴスラビアの軍用機を破壊した。その多くは古く、飛べないものであり、実戦投入可能な軍用機への攻撃を逸らすための「おとり」として、わざと配置されたものであった。例外として、11機のMiG-29、6機のG-4スーパーガレブは、頑丈なシェルターの中に収められたものであったが、シェルターのドアの閉め忘れによって攻撃を受けることになった。紛争が終わった時点で、NATOは公式に93輌のユーゴスラビアの戦車を破壊したとした。ユーゴスラビアは13輌の戦車の損失を認めた。ユーゴスラビアの主張は、同国がデイトン合意の枠組みに復した時点で、西側諸国の検査官らによって、デイトン合意当時とコソボ紛争終結後のこの時点での戦車の台数の差から確認された。喪失した戦車は全部で14輌であり、9輌のM-84と5輌のT-55であった。また。18輌の装甲兵員輸送車、20門の大砲も破壊された。 コソボで攻撃を受けた標的の多くは「おとり」であり、プラスチック・シートに電信柱で砲身をつけた戦車や、動かなくなった第二次世界大戦時の戦車などであった。対空戦力は戦略上使用されずに隠し置かれ、破壊を免れた。そのためNATO空軍機は低空を飛ぶことができず、高度5,000メートル(15,000フィート)以上を飛ぶことを余儀なくされ、正確な空爆を困難にした。紛争終結に向けて、コソボ・アルバニア国境でのB-52爆撃機での絨毯爆撃が駐留するユーゴスラビア軍に大きな損害を与えたと宣伝された。後に、NATOの注意深い調査によって、そのような大規模な損害を与えた証拠はないと結論付けられた。 しかしながら、ユーゴスラビア軍の中でもっとも重大な損害は、損害・破壊を受けたインフラストラクチャーであった。ほぼ全ての空軍基地と飛行場(バタイニツァ Batajnica、クラリェヴォ=ラジェヴツィ Lađevci、スラティナ Slatina、ゴルボヴツィ Golubovci、コヴィン Kovin、ジャコヴィツァ Đakovica)や、その他の軍関係の建物、施設は激しく損害・破壊された。これは、部隊やその装備とは異なり、軍事施設は「おとり」によってカモフラージュすることはできないためである。同様に、軍需産業や軍事技術修復施設も激しく破壊された(Utva、Zastava Arms工場、Moma Stanojlović空軍修復拠点、チャチャクおよびクラグイェヴァツの技術修復拠点)。加えて、ユーゴスラビア軍を弱らせるために、NATOは重要な民間施設も標的にした(パンチェヴォの石油精製所、橋、鉄道など)。
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