ユーゴスラビア軍の行動による市民の死者数
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「コソボ紛争」の記事における「ユーゴスラビア軍の行動による市民の死者数」の解説
ユーゴスラビア陸軍による死者数については複数の推計がたびたび行われている。 紛争後ほぼ1年が経過した2000年6月、国際赤十字は、3,368人の市民(2,500人のアルバニア人、400人のセルビア人、100人のロマ)が依然行方不明であるとした。 2000年8月、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)は、2,788体の遺体がコソボで発掘されたが、うちいくつが戦争犯罪の犠牲者であるかは定かではないとした。しかし、KFORの情報筋がAFPに伝えたところによると、2,150体の遺体が1999年7月までに発見され、うち850体は戦争犯罪の犠牲者であると考えられるといわれた。 行方不明になった市民の一部は、セルビア本国の集団墓地で再び焼却された。2001年7月、セルビア当局は、1,000体ちかい遺体が投棄された集団墓地が見つかったと発表した。最大の集団墓地は、ベオグラード郊外のバタイニツァ(Batajnica)にて、セルビアの警察訓練の団体によって発見された。 人権団体に報告された4,400人の死者数を大きく上回っているが、ICTYの検察局の専門家らは、死者数は合計で10,000人程度であると推定している。ICTYの検察局による死者数の推計は、大切な人の死についてICTYに報告しない人々がいることを考慮に入れたものである。 10,000人という死者数の推計は、人道上の犯罪をユーゴスラビア攻撃の最大の理由としているアメリカ国務省によっても使用されている。 アトランタのアメリカ疾病予防管理センターによって、2000年に医学ジャーナル誌『Lancet』に報告された研究調査では、住民全体の死者数のうち、12,000人は紛争によるものとみられるとしたこの値は、1197世帯に関しての1998年2月から1999年6月までの調査に基づいており、対象となった世帯でのこの期間の死者数105人のうち67人が紛争に関連する外傷によるものであり、これに基づいてコソボの住民全体の死者数を推計した結果が12,000人となる。紛争による死亡率がもっとも大きかったのが15歳から49歳の男性で死者数5421人、50歳以上の男性では5176人とされる。15歳に満たない人々の死者数は男性160人、女性200人とみられる。15歳から49歳の女性の死者数は510人、50歳以上の女性の死者数は541人であった。論文の著者らは、民間と軍人の犠牲者数を正確に区別することは不可能であるとした。
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