ユーゴスラビア連邦最後の大統領に
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「ヴォイスラヴ・コシュトニツァ」の記事における「ユーゴスラビア連邦最後の大統領に」の解説
2000年秋のユーゴスラビア大統領選挙で、セルビア社会党党首のスロボダン・ミロシェヴィッチ大統領に対抗する民主党、セルビア民主党など野党勢力が結集して形成したセルビア民主野党連合は、コシュトニツァを大統領候補に立て、9月24日の大統領選挙で勝利すると、選挙を無効と宣言する政権側に対するデモを行い、体制転換を実現した。これによりセルビア民主党党首のコシュトニツァがユーゴスラビア大統領となり、民主党党首のジンジッチがセルビア共和国首相に就任した。 コシュトニツァはミロシェヴィッチ時代の国際孤立を改善し、国連加盟を果たしてユーゴスラビアの復興を進めたが、急進的な改革を推し進めるジンジッチとの確執が次第に深まった。一方、コシュトニツァ政権はミロシェヴィッチ時代から進んでいたモンテネグロの独立志向を留めることはできず、2002年3月14日、ユーゴスラビア連邦をセルビアとモンテネグロからなる連邦国家から、より緩やかな国家連合へと再編する代わりにモンテネグロの独立を問う住民投票を先送りすることで合意が成立した。 この年夏には民主連合からコシュトニツァのセルビア民主党が追放されてジンジッチとコシュトニツァの対立は決定的となった。秋にはセルビアの大統領選挙が行われ、コシュトニツァは現職の連邦大統領でありながらセルビア大統領選に出馬した。この選挙でコシュトニツァはジンジッチの推す候補を抑えて第一位の得票を得るが、投票率が50%に満たなかったために選挙は無効とされ、12月30日よりセルビア大統領の座は空席(議会議長が代行)となった。 2003年2月5日、ユーゴスラビアがセルビア・モンテネグロに改編されると、スヴェトザル・マロヴィッチがその初代大統領に選出され、コシュトニツァは大統領の座から退いた。
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