ユーゴスラビア連邦最後の大統領にとは? わかりやすく解説

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ユーゴスラビア連邦最後の大統領に

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/15 00:33 UTC 版)

ヴォイスラヴ・コシュトニツァ」の記事における「ユーゴスラビア連邦最後の大統領に」の解説

2000年秋のユーゴスラビア大統領選挙で、セルビア社会党党首スロボダン・ミロシェヴィッチ大統領対抗する民主党セルビア民主党など野党勢力結集して形成したセルビア民主野党連合は、コシュトニツァを大統領候補立て9月24日大統領選挙勝利すると、選挙無効宣言する政権側に対すデモ行い体制転換実現した。これによりセルビア民主党党首のコシュトニツァがユーゴスラビア大統領となり、民主党党首のジンジッチがセルビア共和国首相に就任した。 コシュトニツァはミロシェヴィッチ時代国際孤立改善し国連加盟果たしユーゴスラビア復興進めたが、急進的な改革推し進めるジンジッチとの確執次第深まった一方、コシュトニツァ政権ミロシェヴィッチ時代から進んでいたモンテネグロ独立志向留めることはできず、2002年3月14日ユーゴスラビア連邦セルビアとモンテネグロからなる連邦国家から、より緩やかな国家連合へと再編する代わりにモンテネグロ独立を問う住民投票先送りすることで合意成立したこの年夏には民主連合からコシュトニツァのセルビア民主党追放されてジンジッチとコシュトニツァの対立決定的となった秋にセルビアの大統領選挙が行われ、コシュトニツァは現職連邦大統領ありながらセルビア大統領選出馬した。この選挙でコシュトニツァはジンジッチの推す候補抑えて第一位得票を得るが、投票率50%に満たなかったために選挙無効とされ、12月30日よりセルビア大統領の座は空席議会議長代行となった2003年2月5日ユーゴスラビアセルビア・モンテネグロ改編されると、スヴェトザル・マロヴィッチがその初代大統領選出され、コシュトニツァは大統領の座から退いた

※この「ユーゴスラビア連邦最後の大統領に」の解説は、「ヴォイスラヴ・コシュトニツァ」の解説の一部です。
「ユーゴスラビア連邦最後の大統領に」を含む「ヴォイスラヴ・コシュトニツァ」の記事については、「ヴォイスラヴ・コシュトニツァ」の概要を参照ください。

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