第4回押出し(川俣事件)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 02:27 UTC 版)
「川俣事件」の記事における「第4回押出し(川俣事件)」の解説
川俣事件の事実に関しては、後の裁判での証言などがまったくかみ合わない。警官と農民の証言がかみ合わないのは当然だが、農民同士の証言も全くかみあっていないため、事実関係の詳細は不明である。裁判も、起訴無効という形で決着したため、事実関係については決着がついていない。多くの研究者は、農民の証言がより正確だと考えているが、それでも説明のつかない部分が多い。 1900年2月、農民らはひそかに会合を開き、次回の押出しの段取りを決めた。前回説得する側に回った田中も、今度は説得することはなく、押出し決行日に合わせて国会で質問することにした。警察に知られるのを防ぐため、決行日は極秘とされ、準備する者だけが農民から農民に口伝で伝えられた。しかし実際は、集会などに警察が探りをいれており、決行日以外の詳細は警察側も知っていた。 2月12日午後11時ごろ、雲龍寺の鐘が途切れることなく連続して打ち鳴らされた。これを合図に、周辺町村の寺も鐘を連続して打ち始めた。その音を聞いて、さらに遠方の寺も鐘を打ち始めた。この合図は、20里(約80キロメートル)は伝わったという。警官に制止された寺もあったが、隣村の別の寺が鐘を打ち続けるため、制止は無駄であった。この合図の仕方は第3回押出しとほぼ同じである。 2月13日午前1時、700から800人の農民が雲龍寺に集結していた。警官は解散を命じたが、農民らは応じなかった。農民らによれば、土足で本堂に上がりこむなど、警官側が乱暴をはたらいたとしている。 同日、朝から、雲龍寺に農民が集結した。その数は不明であるが、鉱毒事務所の発表では1万2000。しかし、このときの人数は警察発表の2500人のほうがより確かだと考える研究者は多い。9時に一行は雲龍寺そばにあった渡良瀬川を渡り、館林町に向かった。群馬県警察部は約50名で監視していたが、一行はこれを突破した。 直後、渡良瀬川右岸の農民らと合流。前述の1万2000という数は、途中で合流した農民を含む数と考える研究者もいる。 館林町入口には10名ほどの警官がいたが一行はこれを突破。途中、11時ごろに館林警察署前で数名が拘引されそうになり、負傷者が出た。警察側は、農民のうち1名が馬で警察署に乗り入れたのが原因としているが、当人は馬ごと拘引されそうになったと証言している。いずれにしても、ここでどのようなやりとりがあったのか詳細は不明である。裁判終結後の農民の言及には、農民側が先に警察署敷地に石を投げ込んだというものもある。 小競り合いのあと、正午すぎに農民らは川俣にある浮き船橋(川俣橋)に向かった。当時、利根川にはほとんど橋がかかっておらず、川を渡れる場所は実質的に川俣しかなかった。しかし、邑楽用水から利根川までの間には警官隊が5重の防衛ラインを張って待っていたため、農民らは船を運んでいる者たちを先導にして先を進んだ。前々回の反省から、この回の押出しでは、橋が外されたときに備えて農民らはあらかじめ船を用意していた。 警官隊は解散命令を発した直後に農民らに殴りかかり、先導の船を運んでいた農民らを相次いで逮捕、拘束した(農民らの証言による)。ただし、先頭の船を運んでいた被告農民の中には、停止命令は聞こえなかったと裁判で主張した者もいる。農民らは川俣にある真如寺に連行され、ここで手当てを受けた。川俣の農民は大多数が農民に同情的であり、ほかにも手当て、看護をした者は多くいたという。この日逮捕された農民は約50名。警察が首謀者、リーダーと目していた人物らは、14、15日に相次いで逮捕され、逮捕者の数は67名となった。 この時点で農民は総崩れとなり、散り散りになった。ルートは不明だが、東京までたどり着いたものも数十名から数百名はいたとみられるが、その後の請願は行われなかった。 一方、田中正造は事実を知らず、国会で鉱毒問題に関する質問を行っていたが、質問後、事件を知ると、2日後に再度事件について質問を行った。なお、押出し決行日は、田中の国会質問日があえて選ばれたものである。 押出しは、第1回から第6回まで武器を持たず、暴力もふるわない形で行われている。このため、事件となった第4回押出しも、農民側が先に警官に暴力をふるった例はないと考える研究者が多い。 当時現場にいた新聞記者らも、裁判で証人として出廷したが、警官隊がサーベルなどの武器を用いたという証言はない。また、農民が武器を使用したという証言もない。警官側が農民に対し砂を投げた、という証言と、警官と農民の両者が砂を投げた、という証言がある。
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