第二次世界大戦後のロッジ再建
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「日本のフリーメイソンリー」の記事における「第二次世界大戦後のロッジ再建」の解説
R・クーデンホーフ=カレルギー伯爵の影響を受け「友愛」を提唱したマスターメイソン鳩山一郎。鳩山はRCK伯爵の反全体主義の人道主義的著書『自由と人生』の翻訳者であり、本書の友愛精神の継承者である。 1945年、日本の敗戦で第二次世界大戦が終わると、1946年よりロッジの再建が始まった。そして、1950年1月5日、佐藤尚武(外交官・政治家)、植原悦二郎(政治家)、三島通陽(作家・政治家)、高橋龍太郎(実業家・政治家)、芝均平(ジャーナリスト、元ジャパンタイムズ編集局長)らが、初めての日本における日本人会員となった。この時点で日本のロッジはフィリピン・グランド・ロッジの傘下にあり、フィリピンの対日感情は最悪だった。4月8日フィリピン代表のマウロ・バラディが来日し、「世界平和のために、日本人を兄弟として握手しようと決心し、過去の罪を許してメイソンとして迎えるべく決意した」と演説した。星島二郎はこれに応え、国会にフィリピンに対する謝罪決議を提出し、全会一致で可決させたという。1950年は国会議員5人他、合計7人の日本人が入会した。 自身も会員であったダグラス・マッカーサーは、対日政策の一環として、皇族を皮切りに日本の指導者層を入会させ、最後は昭和天皇を入会させる腹づもりであったという(フリーメイソンリーは直接的な勧誘はしないことになっているので、それとなく興味を持たせるようにした)。フリーメイソンリーは、米国にとっては冷戦下の反共の砦としても期待されていた。昭和天皇の入会は実現しなかったが、はるか後年の1995年にも、リチャード・クライプ元グランド・マスターが取材に「日本でも天皇陛下がメンバーだったら、偏見がなくなり、もっともっと簡単にメンバーを集めることができるでしょう。もし、天皇陛下に入っていただければ、私は名誉グランド・マスターにしてさしあげたい。」と答えており、現在でも天皇の入会を期待しているものと思われる[要出典]。 1951年に入会した鳩山一郎は、入会時の第1階級(エンタード・アプレンティス)を経て、1955年に第2階級(フェロークラフト)へ進級、さらに第3階級(マスターメイソン)に昇級した。彼のマスターメイソン昇級は1955年当時に報道されている。一郎がメイソンリーに入会した理由は、一郎に思想的影響を与えたクーデンホーフ=カレルギー伯爵がメイソンであったからである。 スコティッシュ・ライト第32階級のメイソン高崎廣によれば日本でもフリーメイソンの影響がみられるようである。日本国憲法第21条は集会の自由、結社の自由、言論の自由とフリーメイソンの理想が並んでいるとする考えもある。フランス革命の自由、平等、友愛(自由、平等、博愛)の3つの用語もフリーメイソンの基本的理念である。 1957年には会員数が2500人を超え、独立したグランド・ロッジを構えるべきという気運が高まり、3月に東京グランド・ロッジを設立した。初代グランド・マスターは、ベネズエラの外交官カルロス・ロドリゲス=ヒメネスであった。また、主に米軍基地内にフィリピン系ロッジ、黒人系ロッジが別途存在する。これらは日本Grand Lodgeとの直接的な関わりはなく、各ロッジは個別のGrand Lodgeに属している。
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