第二次世界大戦後の占領下の日本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 22:15 UTC 版)
「墨塗り教科書」の記事における「第二次世界大戦後の占領下の日本」の解説
詳細は「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」を参照 「終戦に伴ふ教科書図書取扱方に関する件」に基づき、連合国軍最高司令官総司令部が不適切と判断したものは書き換えられるか、墨塗りされた。教科によっては、ほぼ全行に抹消線が引かれたものもあった。当時の国民学校(現・小学校・中学校)では、当時使われた教科書のうち、戦意高揚をうたった文章の箇所については「墨汁で塗りつぶして読めないように」という進駐軍の指示(命令)が出されたためである。また児童が教師の指示に従い塗りつぶしを行った。 同時に、教職追放令により、45万の教師のうち11万5千人が辞職、約5200人が教職追放となった。マッカーサーの陸軍省宛の報告には、「推定1800万人の生徒、40万人の教師、4万の学校は、占領政策の道具である」とあり、その意図に沿った指令であったとされる。
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