第二次世界大戦後の大クロアチア主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 02:22 UTC 版)
「大クロアチア」の記事における「第二次世界大戦後の大クロアチア主義」の解説
エーリッヒ・シュミット・エンボーム(Erich Schmidt Enbohm)の執筆したドイツの情報機関BNDの任務に関する本[要文献特定詳細情報]によれば、戦後ユーゴスラビアの権力をヨシップ・ブロズ・チトーが掌握した後にも大クロアチア主義は決して衰えなかったとしている。 それは、イヴァン・ステヴォ・クラヤチッチ(Ivan Stevo Krajačić、クロアチア人)がチトーの権力・権限が最も強かった時代に、かつてのクロアチア独立国の領土の範囲内でボスニア・ヘルツェゴビナを含む独立のクロアチアを建国する案を作成したことにも表れている。 これもまた、大クロアチア主義におけるボスニア・ヘルツェゴビナへの強い要求の表れであるといえる。政治体制や国家・社会構成、そして人も変わっていく中で、ドリナ川までを包含するクロアチア主義の概念は変わらずに受け継がれていった。
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