第二次世界大戦後の官吏制度
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第二次世界大戦が終わり、連合国軍による占領統治が始められると、官吏制度は大きく変更され始めた。 まず、官吏制度改正ニ関スル件(1945年11月13日閣議決定)を初めとして、矢継ぎ早に官吏制度の合理化・民主化が行われる。 1946年(昭和21年)11月3日に日本国憲法が公布され、1947年5月3日に施行される。 第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行う。 五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。 第七十三条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行う。 四 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。 と、2つの条項に「官吏」の語を用いるが、一般には公務員または国家公務員と同義とされる。天皇が認証する官吏を認証官という。(以下、詳細は日本の公務員の項目を参照のこと。) 原則として、国家公務員には、国家公務員法により、職階制を導入するとしているものの、大日本帝国憲法下の官吏のような、固定的な序列格付けはない。従前の親任官に当たるものとしては、国会が指名して天皇が任命する内閣総理大臣と、内閣が指名して天皇が任命する最高裁判所長官があるが、現在この二者を包括する名称はない。また、従前の勅任官に当たるものとしては、法律に定められた機関が任免し、天皇がその任免を認証する認証官がある。 移行期においては、官吏任用叙級令及び官吏の任免、叙級、休職、復職その他の官吏の身分上の事項に関する手続に関する政令による、一級官吏の任免、叙級、休職及び復職は、主任大臣の申出により、内閣において行い、二級官吏の任免、叙級、休職及び復職は、主任大臣の申出により、内閣総理大臣が行い、三級官吏の任免、叙級、休職及び復職は、主任大臣又は政令の定める各庁の長若しくはこれに準ずる者が行うこととされていた。概ね、勅任官は一級官吏(政務次官など)、奏任官は二級官吏(侍従、大臣秘書官など)、判任官は三級官吏とされた。中央省庁再編に伴い各級官吏に叙する取扱いが終了、その後は法文に叙級の規定が残る検察庁法に基づく官職への官吏叙級が残るのみとなっている(検察官は一級と二級、検事総長秘書官は二級、検察事務官は二級と三級。いずれも「検事一級」のように官職の後に級が付される)。ちなみに検察庁法施行令の規定によれば、おおむね行政職俸給表(一)の職務の級三級以上の職員が二級以上の官吏と見なされている。 なお、日本国憲法は、地方公務員を指す語として「吏員」(日本国憲法93条2項)を用いるが、地方公務員には吏員以外の地方公共団体職員も包含する。なお、2007年4月1日から事務吏員、技術吏員制度が廃止され、地方公共団体の長の補助機関としての「職員」に一本化される。ただし、議会、選挙管理委員会、監査委員などのそれぞれの補助職員である「書記」の制度は存続される。
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