第二次世界大戦後の国際交流と日本庭園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 19:06 UTC 版)
「日本国外の日本庭園」の記事における「第二次世界大戦後の国際交流と日本庭園」の解説
日本の国際社会への復帰ののち、日本人造園家が携わる日本国外での日本庭園の造園も行われるようになった。1950年代から1960年代にかけて森歓之助がインドを中心に、井下清、飯田十基、戸野琢磨などが北米での活動をはじめ、作品を残した。中根金作などの作庭家も国外に多くの作品を残している。1980年代以降、日本の自治体の国際姉妹都市提携が増加し、交流の一環として提携先に日本庭園を制作することも多い。 北米・南米など規模の大きな日系人コミュニティのある地域では、日系人たちによって日本庭園が築かれている。ブラジルのクリチバ日本庭園(1962年)や、アルゼンチンのブエノスアイレス日本庭園(1967年)は、大規模な都市公園として日本庭園が造られた例であり、寺院を併設するなどコミュニティの中心としての機能も持っている。 日本庭園の造園や維持管理にあたるのは日本人・日系人だけではない。現地の造園家が日本の伝統的造園技法を習得してあたることも多い。
※この「第二次世界大戦後の国際交流と日本庭園」の解説は、「日本国外の日本庭園」の解説の一部です。
「第二次世界大戦後の国際交流と日本庭園」を含む「日本国外の日本庭園」の記事については、「日本国外の日本庭園」の概要を参照ください。
- 第二次世界大戦後の国際交流と日本庭園のページへのリンク