第二次世界大戦後の対戦車砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 01:06 UTC 版)
「対戦車砲」の記事における「第二次世界大戦後の対戦車砲」の解説
第二次世界大戦における戦車と対戦車砲の関係はまさに「盾と矛」の関係であった。開戦当初は37~47mm程の口径が標準であったものが中期には50~57mm級、75~76.2mm級と大型化し、大戦末期には88~100mm(多くは野砲や高射砲兼用で、歩兵ではなく砲兵隊の装備)以上の物も量産されていた。口径が88mmを超える砲になると大きさ、重量もかなりのものになり、人力で移動可能で待ち伏せのため隠蔽するという従来の対戦車砲の運用法から完全に逸脱してしまった。この問題の解決法として、各国は対戦車砲を様々な車台に搭載し自走砲化をすすめた。また、大戦末期からはバズーカやパンツァーファウストに代表される成形炸薬弾を使用した携帯式のロケットランチャーや無反動砲が急速に発達し、牽引式対戦車砲がなくても歩兵が戦車を破壊できるようになった。さらに、小型の対戦車ミサイルが実用化されると遠距離からでも戦車を破壊できるようになり、対戦車砲の存在意義は薄れ急速に姿を消していった。 現在では中国とロシア等旧共産圏に一部の野砲兼用型が残されているのみであるが、冷戦終結後は対戦車砲の最大の相手である機甲部隊の大侵攻という状況自体が発生しにくくなっているため、チェチェン紛争のような低強度紛争では榴弾による火力支援を主な任務としていると思われる。
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