第二次世界大戦後のチベット使節団
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「チベットの歴史」の記事における「第二次世界大戦後のチベット使節団」の解説
1946年にチベット外務省は、第二次世界大戦終結関連の祝賀使節を中国に派遣した。チベットの使節が渡した蔣介石宛書簡には「我々はダライラマによる恒久的な宗教・政治的統治によってチベットの独立を守り続けたい」と記されていた。この使節団は南京で行われた中国の憲法制定議会に参加している。 1947年から1949年にかけて、ラサ政府はツェポン(Tsepon、蔵相)であるW. D. シャカッパ(W.D. Shakabpa)率いる通商使節団をインド、香港、南京、アメリカ、英国へと送った。 英米などは同じ連合国である中華民国に配慮し、チベットによる独立主張について使節団と協議しなかった。他方、使節団がチベット政府によって支給されたパスポートで旅行することを許し、米国は非公式に通商使節団を受け入れた。 1947年、チベット政府は使節団をインド、デリーで行われたアジア会議に送り、ここで自身を独立国家と表明した。そのため、インドは1947年から1954年にかけてチベットを独立国家と認識していた。また、この会議にはチベットの旗(雪山獅子旗)が持ち込まれたが、これは公的集会におけるチベット旗の最初の出現だった。 チベット使節団は1948年に渡英し、英国首相クレメント・アトリーに面会している。
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