第二次レーズン川の戦いとは? わかりやすく解説

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第二次レーズン川の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/25 15:50 UTC 版)

フレンチタウンの戦い」の記事における「第二次レーズン川の戦い」の解説

フレンチタウンを奪回した後、ジェイムズ・ウィンチェスター准将残り部隊2日後1月20日ルイス隊と合流したウィンチェスター命令には無い行動を採ったが、ハリソンルイス成功喜んでいた。しかし、ハリソンイギリス軍が力を結集させればウィンチェスター隊の小さな勢力上回ることになると怖れた。ハリソンは第17歩連隊一部など援軍にフレンチタウンに移動するよう命じた続いてウィンチェスターには、その陣地守り次の戦闘備えるよう命じたウィンチェスター隊の兵士大半訓練受けておらず、経験足りなかった。18日戦闘大半の者にとっての初陣だった。さらにウィンチェスター作戦立案お粗末なものだった弾薬など必要な物資はモーミー川から先に持ってきていなかった。町の周り防柵強化されず、第17歩連隊正規兵はその壁の外宿営した最初の戦闘から数日経って地元住民ウィンチェスターに、大型イギリス軍がフレンチタウンに向かっていると報告したウィンチェスターはその警告無視しイギリス軍が「何かをできるようになるまでには数日かかる」と主張したウィンチェスター部隊はフレンチタウン全体宿営していた。哨兵警戒兵を置くこともなく夜には町の南にある作戦本部としていたナバレの家に戻ったデトロイト周辺イギリス軍指揮官ヘンリー・プロクター准将は、フレンチタウンがアメリカ軍取り返されたことを聞くと、モルデン砦から部隊率いアッパー・カナダからデトロイト川渡ってミシガン侵入してきた。その部隊は第41歩兵連隊とロイヤル・ニューファンドランド守備隊からの正規597名に加えてインディアン800名がいた。ショーニー族指導者テカムセがこの地域居たフレンチタウンの戦いには参加しなかった。テカムセインディアン指揮ワイアンドット族酋長のラウンドヘッドとウォークインザウォーターに任せていた。インディアン中にはショーニー族ポタワトミ族オタワ族、チッペワ族、デラウェア族マイアミ族、ウィネベーゴ族、クリーク族ソーク族フォックス族の者が入っていた。プロクター砲兵隊に曳かせた6門の3ポンド砲があった。プロクター1月21日に、戦闘備えるためにレーズン川の北約5マイル (8 km) で停止させた。 プロクター隊は1月22日夜明け前アメリカ軍急襲した。第41歩兵連隊と共に行軍していたカナダ人志願兵ジョン・リチャードソンは、「22日夜明け前、敵が見えるところまで来ていた...彼等守りぬるかったので...われわれの半分しかできていない陣形守備側マスケット銃射程内に入ったときは、我々の存在気付いてないようだった」と後に記していた 。 ウィンチェスター将軍砲声で目が覚め戦場急いだが、途中でインディアン捕まえられた。ラウンドヘッド酋長がその制服を剥いでからイギリス軍渡したので、彼はナイトシャツで捕まえられたという伝説ができた。アメリカ軍散り散りとなり、戦え位置にはどこにも居なかった。大半新兵ばかりだった第17歩連隊野外戦闘巻き込まれて、隊列作れ逃亡した。その隊長であるウィリアム・アレン大佐は頭を撃たれ死亡し頭皮剥がれた多くの者が降伏しようとして武器置いたが、インディアンの銃で撃たれるトマホーク殺されるけだったその他の部隊兵も逃げようとしたが、大半追いつめられ殺された。少数の者が靴を脱ぎ雪の中をストッキングだけで走ったので、足跡モカシンもののよう見え逃げ延びることができた。イギリス軍大きな納屋占領したが、アメリカ軍のウィリアム・オーランド・バトラーがそれに火を付けたので、そこを遮蔽物にしていた者達を出てこさせた。 ケンタッキー州ライフル連隊が町死守続けた彼等イギリス軍砲兵歩兵多く殺したが、遂に弾薬尽きたウィンチェスターは、プロクターから残存部隊に降伏命令するよう強制された。さもなければ残存部隊は全て殺されであろうし、フレンチタウンの町も焼かれであろうプロクター無条件降伏要求しウィンチェスターが既に捕虜になっていたので、その反論拒んだ。まだ戦場指揮を執っていたジョージ・マディソン少佐が、兵士戦争捕虜として保護されるという条件降伏すると言ってプロクター説得したイギリス軍白旗を掲げるのを見たケンタッキー州ライフル連隊兵士は、休戦要求しているものだと考えた。しかしイギリス軍士官ウィンチェスター将軍からの降伏命令伝えていた。アメリカ兵はこれを拒んでインディアン信用するよりも死ぬまで戦い続けと言ったが、さらに3時間以上戦い続けた後でジョージ・マディソン少佐正式に降伏宣言出したイギリス軍インディアンにフレンチタウンを破壊させよう何度試みたが、ポタワトミ族彼等開拓者土地与えたのであり、これ以上開拓者災いもたらしたくないと考えたので、それを拒んだ

※この「第二次レーズン川の戦い」の解説は、「フレンチタウンの戦い」の解説の一部です。
「第二次レーズン川の戦い」を含む「フレンチタウンの戦い」の記事については、「フレンチタウンの戦い」の概要を参照ください。

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