第二次リガ湾攻防戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/18 04:54 UTC 版)
「バルト海の戦い (第一次世界大戦)」の記事における「第二次リガ湾攻防戦」の解説
1917年、ロシアでは革命が起こり、そのためロシア軍は機能不全に陥っていた。二月革命によって成立したペトログラードの臨時政府は、それでも戦争の継続を行った。 この状況でドイツ軍は再度リガ湾攻略作戦を開始した。参加兵力は弩級戦艦10隻、軽巡洋艦8隻などである。10月12日、ドイツ軍は攻撃を開始した。ドイツ軍は砲台からの攻撃により駆逐艦1隻を失うも、オーゼル島に陸軍部隊を揚陸させた。ロシア共和国軍は、ムーン島に兵力を集中した。17日、ロシアの前弩級戦艦「スラーヴァ」「グラジュダニーン」、装甲巡洋艦「バヤーン」はドイツの弩級戦艦「カイザー」、「クローンプリンツ・ヴィルヘルム」と交戦した。この戦闘で「スラーヴァ」は大破し処分された。 10月21日にはムーン島も陥落しドイツ軍の2度目のリガ湾攻略は成功した。その後、十月革命でロシア共和国は倒れ、戦線離脱を主張するボリシェヴィキのソヴィエト政権が樹立された。
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