空軍と航空会社のプロジェクト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 10:19 UTC 版)
「IBM」の記事における「空軍と航空会社のプロジェクト」の解説
終戦後すぐの1946年に、エレクトロニクスによる「電子」計算機であるENIACが完成し、電子式コンピュータの時代が幕を開けた。ENIACはIBMのパンチカード機器を入出力に使用していた。当初、コンピュータの世界で先行したのは、ENIACの主要開発者2人を雇い入れることに成功したUNIVACであった。UNIVAC Iは(当時としては)ベストセラー機となった他、1952年アメリカ合衆国大統領選挙を予想するというデモンストレーションにも印象的に成功するなどしていた。 IBMは、前述のHarvard Mark Iに技術的に引き続くSSECも建造しているが、電子式でない計算機械はすぐに時代遅れとなる趨勢にあった。 IBMもIBM 701に始まるIBM 700/7000 seriesやIBM 650といったコンピュータを開発・出荷したが、初期の機種は性能や機能の点でUNIVACに及ばず(IBM 701には当初は磁気テープが無く、650はより下位機種でドラムを主記憶としていたため遅かった)、IBMの成功はコアメモリを採用した704や、7090などトランジスタの世代からであり、データ処理業界でのその地位を確固なものとしたのは、次の1960年代で述べるSystem/360である(たとえば、コンピュータのトランジスタ化についても、7090が1959年であるのに対し、PhilcoのTransac S-2000は1957年と、他社に先行されている)。 1950年代については、商用コンピュータ以外に特筆すべきことがある。この時代にIBMはアメリカ空軍の自動化防衛システムのためのコンピュータを開発する契約を結んだ。SAGE対空システムに関わることでIBMはMITで行われている重要な研究にアクセスできた。それは世界初のリアルタイム指向のデジタルコンピュータで、CRT表示、磁気コアメモリ、ライトガン、最初の実用的代数コンピュータ言語、デジタル・アナログ変換技術、電話回線でのデジタルデータ転送などの最新技術が含まれている (Whirlwind)。IBMは56台のSAGE用コンピュータを製造し(1台3000万ドル)、最盛期には7,000人が従事していた(当時の全従業員の20%)。直接的な利益よりも長期にわたるプロジェクトによる安定に意味があった。ただし、先端技術へのアクセスは軍の保護下で行われた。また、IBMはプロジェクトのソフトウェア開発をランド研究所に取られてしまい、勃興期のソフトウェア産業で支配的な役割を得るチャンスを逃した。プロジェクト関係者 Robert P. Crago は、「プロジェクトがいつか完了したとき、2000人のプログラマにIBM内で次に何をさせればいいか想像も出来なかった」と述べている。IBMはSAGEでの大規模リアルタイムネットワーク構築の経験を生かし、SABRE航空予約システムを開発し、さらなる成功を収めた。
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