空軍の成立と大戦での経験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 05:02 UTC 版)
「ジュゼッペ・ガリバルディ (空母)」の記事における「空軍の成立と大戦での経験」の解説
1921年にジュリオ・ドゥーエ将軍が発表した『制空』は、イタリア統帥部に強烈な影響を与えた。1923年にイタリア王立空軍が発足すると海軍は全ての航空機を失って、洋上哨戒、艦隊防空、対艦攻撃などの海上航空作戦も空軍の所管となり、1937年の空軍法によって正式に固定翼機の運用を禁止された。しかし空軍は、宿命的に海上作戦に対する関心が薄く、訓練も十分ではなかった。 ワシントン海軍軍縮条約で、イタリア海軍の航空母艦のために6万トンが割り当てられていたにも関わらず、イタリア本土および北アフリカの航空基地から発進する陸上機だけで地中海の作戦海域は全てカバーできるとの判断のもと、その建造計画は具体化しないままに第二次世界大戦の開戦を迎えた。しかし大戦では、緒戦のカラブリア沖海戦から、最後の海戦となったペデスタル作戦に至るまで、空軍の非協力や拙劣な航空作戦のために勝機を逸し、あるいは艦隊の損害増大を招いた事例が続発することになった。これらの戦訓から空軍による航空支援の不足を痛感し、海軍は、1941年より改造空母として「アキラ」「スパルヴィエロ」の取得を試みたが、いずれも未完に終わった。
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