空軍の戦略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/25 06:19 UTC 版)
ライト兄弟が1903年に飛行実験を成功させると航空機が重要な軍事力として価値を占めるようになる。航空機はそれまでの陸地や海洋などの地形地物の影響を受けない唯一の戦力としての潜在性を持っていたが、そのことが認識されるためには第一次世界大戦の軍事的経験が必要であった。 1921年にイタリアのドゥーエは『制空』において航空攻撃の重要性を主張して独立空軍の創設、戦闘機による制空権の獲得、戦略爆撃の実施を論じた。この議論は初めて航空戦力に基づいた航空戦略の思想であった。アメリカでもミッチェルが将来戦争の主役は航空部隊であり、これは戦闘機、戦術爆撃機、攻撃機など複数の航空機からエアパワーを構成するものであった。しかしこの思想が発表された当初は航空戦力の評価が定まっておらず、正当な戦略理論として理解されなかった。 1950年代に航空機がジェット機になるなど技術革新が進み、また核兵器が登場すると大量報復の一環として戦略爆撃機が導入され、航空戦略の価値が再評価されるようになった。中東戦争でも戦術空軍の意義が認識され、精密誘導兵器や無人飛行機の導入で航空戦略は現在も変化している。
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