科学的実在論への批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 04:31 UTC 版)
「科学的実在論」の記事における「科学的実在論への批判」の解説
科学的実在論の要点の一つは、自然科学の知識は漸進的に進歩しており、ある現象が起こると予言することが可能であるということである。多くの実在論者は、理論が操作主義的にうまくできていれば、知覚的に検証しにくい理論要素でもその実在を信じる理由があると考えている。例えば、原子が実在することを前提にした全ての理論が現象論的に顕著な成功を収めているということが、原子の存在論的な実在を裏付ける証拠として用いられていると科学的実在論者は指摘している。 科学的実在論の擁護はしばしば仮説発見的推論(en:abductive reasoning)すなわち可能な説明のうち最良の説明を採用するという推論法を用いる。科学理論は様々な現象を予測したり説明したりすることに成功しているのであり、したがって我々の科学理論は、少なくとも最良の科学理論について言えば、世界を正しく記述できているか、または近似的な記述に成功している、と科学的実在論は推論するのである。 反対に、実在論に反対する有力な議論の一つは悲観主義的帰納(en:pessimistic induction)と呼ばれる立場である。この立場によれば、科学史を見てみれば、かつて経験的に正しいとみなされていた理論でも、今となっては誤りだと考えられているものは数多い。その上、科学史から明らかなように、経験的に正しいとされている理論でも、知覚不可能な要素については本当には実在しないと考えられている場合が多いのである。例えば静的電子の流出理論(effluvial theory of static electricy)は経験的に正しいと思われているが、この理論の中心的な要素は知覚不可能であって、後年現れた別の理論にとって代えられている。これに対して実在論者は、科学知識には進歩がつきものなのだから、個々の実在主義的理論がより良い(やはり実在主義的な)理論にとって代えられるのはむしろ望ましいことであり、まして知覚不可能で理論にとって余計な要素が除かれるなら、それに越したことはない、と考える。例えばアインシュタインの特殊相対性理論は、エーテルの概念が必要なくなったのは、それが力学や電磁気学といった理論の成功に一切貢献しなかったからだ、ということを明らかにした。他方で、理論が変化しても、原子概念のように有用な概念であれば退けられず、新しい理論の中に何らかの仕方で統合される。 また社会構築主義の論者も、科学的実在論の立場に立つ限り、科学革命の時期に起こる科学知識の急激な変化は説明できないと批判している。また社会構築主義者は、理論の正しさは社会的構築の一環に過ぎないとも述べている。しかしながら、この議論では多くの科学者は実在論者ではないということが忘れられている。実際、科学革命のもっとも顕著な例ともいえる1920年代の量子力学の発展の時期に科学哲学の主要思潮だったのは論理実証主義だった。一種独特な実在論者だったデイヴィッド・ボームの定式化した量子力学のいわゆるボーム解釈は、古典的物理学の諸概念に対してこれほどの革命的な亀裂を産み出すことはなかった。 科学的実在論への批判の別の例としては、決定不全性(en:underdetermination)の問題から派生したものがある。これは歴史的に見て他の批判ほど声高に主張されたわけではない。この批判によれば、観察されたデータは、相互に相容れない複数の理論によって基本的に説明できるのだから、実在論流の理論観は誤りと言える。実在論者側からの反論としては、科学史において決定不全性テーゼが指摘されたケースは数少ないということが指摘される。通常の場合データの説明に要求される要件は非常に厳しいので、科学者がこの要件を満たす理論をわずか一個さえ見つけることは難しい。また、決定不全性テーゼを文字通りに受け取るなら、我々は直接に観察したものしか知ることが出できなくなる。例えば、化石を証拠として恐竜がかつて生きていたことを理論的に証明することはできない。なぜなら、同じデータをもとにして他の理論(例えば化石がよくできた捏造であるといったもの)を立てることができるからである。実在論者の主張では、理論の選択にあたっては、経験的に適合するということに加えて、オッカムの剃刀のような他の規準も必要である。
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